(ししど もといえ)
宍戸元家:
(1434-1509) |
安芸の国人、安芸国五龍城(広島県安芸高田市甲立)主。通称:悪四郎、安芸守。常陸宍戸氏の宍戸時宗の子として生まれたとされる。(安芸)宍戸興家の五龍城に立寄った事で、1478年当主になる。子に宍戸元源・深瀬隆兼・宍戸家俊。 |
(ししど もとよし)
宍戸 元源:
(? -1542) |
安芸の国人宍戸氏の当主、安芸国五龍城主。1504年家督を継ぐ。近隣国人・毛利弘元(1466-1506)の子興元(1492-1516)とたびたび抗争、のち、毛利元就(1497-1571)が高橋氏の旧領の一部を割譲などし元源に接近、1534年嫡孫・隆家の妻に元就の娘を迎え、毛利氏と和睦。 |
宍戸元家:
(1498-1518) |
宍戸(弥三郎)元家。嫡男であったが21歳の若さで討死。 |
(ししど もとひで)
宍戸 元秀:
(1547-1597) |
父は宍戸(弥三郎)元家。子に宍戸元続。
1592年父・隆家が死去するが、病弱などを理由に既に廃嫡されていたため、子の宍戸元続が宍戸氏の当主となる。 |
(ししど たかいえ)
宍戸 隆家:
(1518-1592) |
安芸国の国人宍戸氏の当主、安芸国五龍城主。安芸守。1538年家督を継ぐ。のちに毛利氏の家臣、毛利元就の娘(五龍局)を妻として毛利氏一門衆となる。
子に元秀(廃嫡)。嫡孫となる宍戸元続(1563-1631)に跡を継がせた。 |
(ししど もとつぐ)
宍戸 元続:
(1563-1631) |
毛利氏の家臣。安芸宍戸氏当主。備前守。安芸五龍城主。主君・毛利輝元は父方では従伯父、母方では従兄に当たる。1592年家督を継ぐ。
朝鮮出兵では朝鮮に渡海、1597年毛利軍の先鋒を務める。1600年関ヶ原の戦いで毛利輝元は周防・長門2ヶ国に減封、元続も(父祖伝来の地である)五龍城を去り、萩に移住。 |