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佐伯区五日市中央の「(五日市)コイン通り」と名付けられた通りをこの頁で取り上げています。 |
コイン通りは、造幣局広島支局があることから命名されました。
もともとは、1941(昭和16)年ころ幅2mほどの農道として開通した道でしたが、(太平洋戦争のさなか、政府は貨幣を大量製造するため)ここ五日市地区に造幣局新工場の話が浮上し、その誘致運動に伴い、道幅も今とほぼ同じ16mに広げられました。
1942(昭和17)年に当時・佐伯郡五日市町内に工場建設が決定しました*。
造幣局広島支局は、昭和20(1945)年2月1日現在地に開設しました。
戦後、1946(昭和21)年1月15日に貨幣製造を再開しました。 |
*日本海側の港からアジア各地へ貨幣を送る為に、この道を山陰までつなげる計画があったそうです。 |
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当初の農道も次第に物資輸送の交通量が増え、いつしか「産業道路」と呼ばれるようになりました。
さらに、道路の周辺地域(五日市町)が広島市に編入合併した1985(昭和60)年頃からベッドタウン化が進み、店舗が増えて発展していき、この「産業道路」の名称も造幣局にちなんで「コイン通り」に変わったそうです。 |
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1999(平成11)年度広島市はコイン通りのまちづくり活動に対し「ひろしま街づくりデザイン賞」を贈っています。
2003(平成15)年まちづくり月間国土交通大臣が「コイン通り街づくり委員会」を表彰しています。 |
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1991(平成3)年4月造幣局創業120年記念事業の一環として構内の桜を「花のまわりみち−八重桜イン広島」として一般公開がはじまりました。当時わたしはコインを収集していましたので、この「花のまわりみち」記念として「花のまわりみち貨幣セット」が発売されることから(わたしは)はじめて造幣局広島支局を訪ねる為にこのコイン通りを歩いたのでした。
仕事の関係で、短い期間でしたが、JR五日市駅からこのコイン通りを通りその先まで行っていたことがありましたが、ただ通り過ぎて行くだけで、撮影したのは今回が初めてでした。あいにくの雨でしたが、TVのニュースなどでみていた歩道に設置されている(コインに由来する)金持ち○□と名付けられた彫刻作品もみて撮影してみようと思っていたのです。 |
12.05.31裕・記編集 |