いつかいちちゅうおうれんさがい
五日市中央連鎖街

  佐伯区五日市1丁目のアーケードが架けられた商店街「五日市中央連鎖街」をこの頁で取り上げました。
※いまは昭和30年代の賑やかだったと伝わる商店街の面影はありませんがアーケードの一部が残っています。
*残っていたアーケードの一部は、2度目の撮影後の2016(平成28)年9月ごろに解体されていたそうです。
 
1955(昭和30)年の五日市町合併当時に、商店街は旧五日市町の街並みや楽々園遊園地入口程度でした。
その後、旧五日市村役場から新五日市役場に至る「五日市中央連鎖街」に徐々に商店街が形成されました。道路全面にわたり可動式アーケードが架けられ、当時は全国でも最古のものだったと云われています※。
五日市町内では娯楽的な施設もなく、町民の殆どが広島市や廿日市町へ移動していましたが、当地には「五日市有楽座」が1951(昭和26)年2月1日から上映を開始しました。当時は昼夜二回で日本映画を上映していましたが、やがて東の国道2号線沿いに移転し営業を続けていました。現在では有楽座の跡地にはマンションが立てられ、「五日市中央連鎖街」はすっかり様変わりし、昔の賑わいをみることはできません。
五日市中央連鎖街

文責:五日市西国街道散策倶楽部
佐伯郡五日市町の略沿革
1889(明治22)年4月1日 町村制施行時後の佐伯郡五日市町域には下記五村がありました
  石内村、五海市(いつかいち)村、観音村、河内村、八幡村
1911(明治44)年10月1日
1955(昭和30)年4月1日
1985(昭和60)年3月20日
五海市村、町制を施行して五日市町と改名。
五日市町+石内村+観音村+河内村+八幡村=新たな五日市町。
広島市に編入、佐伯郡五日市町は消滅しました。
アーケード(arcade)=洋風建築で、アーチ形の天井をもつ構造物。また、その下の通路。拱廊。
              歩道にかける屋根のような覆い。また、それを設けた商店街。
1921(大正20)年12月完成した、大分県別府市(竹瓦小路)の木造ガラス張りアーケードが現存。
1951(昭和26)年福岡県小倉市(魚町銀天街)が、公道上のアーケードとしてはじめてだそうです。
2012年町中小公園 (旧五日市村役場跡)に設置の説明板で、ここで取り上げた「五日市中央連鎖街」のことを知りましたがその時は撮影していなかったのです。
2015年五日市町原爆関連の慰霊碑を巡った時、この五日市中央連鎖街の残り香を撮影していました。
2016年には南側から北側に歩きましたので少し撮影しましたので、この頁を編集しました。
 16.06.30.裕・記編集

16.06.28.撮影
広島市佐伯区五日市1-2、3附近

15.05.28.撮影

15.05.28.撮影
(五日市郵便局が入っているビルの外壁に説明板が設置されています)

15.05.28.撮影

15.05.28.撮影

15.05.28.撮影

16.06.28.撮影

16.06.28.撮影

15.05.28.撮影
(アーケードが残った処をみました)

15.05.28.撮影

15.05.28.撮影
(JR山陽本線踏切の処からみました)
(北側)旧五日市村役場跡   (南側)新五日市村役場



「建物など」編



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旧五日市村役場跡(町中小公園)
五日市中央連鎖街
旧海老塩浜堤防跡


「旧(佐伯郡)五日市町」編


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