いつかいちはちまんじんじゃ
五日市八幡神社

  佐伯区五日市に鎮座している「五日市八幡神社」です。
祭  神: 帯仲津日子命、息長帯日売命、品陀和気命
相殿神: 伊邪那岐命、伊邪那美命、大歳神、須佐之男命、稲田姫命、宗像三女神、武内宿祢大臣
由  緒: 創建の年代は不詳ですが、天文年間(1532-1555)の豪雨のため山津波がおこり、椿原(現・坪井2丁目)鎮座の社殿が五日市の御戸森まで流され村人が社宝などを拾い新宮山上(八幡田)へ祀ったと伝わっています。その後宝永7(1710)年再び暴風雨のため社殿が倒壊し皆賀村の八幡宮へ合祀しました。当時は近郷十五箇村(屋代、三宅、坪井、千同、倉重、保井田、寺田、寺地、中須賀、口和田、高井、利松、皆賀、井口、五日市)の総氏神社でした。
明治8(1875)年現鎮座地にあった新宮神社へ御神体を遷して八幡神社と改称し、以後五日市の総氏神として崇敬を集めています。
明治45(1912)年字地毛の大歳神社を合祀しました。
大正6(1917)年皆賀の八幡神社の社殿焼失のため当神社に合祀しました。
それまでは八幡川の両岸に二つの八幡神社の社殿があり両社を結ぶ「両宮橋」が架けられていたそうです。
上記資料は広島県神社誌などを参照しました。
五日市八幡神社平成の大改修のお知らせ板がありました。
鎮座千百二十年記念事業   
      平成27(2015)年12月~平成29(2017)年夏頃竣工予定
新しい神社縁起案内板をみると創建が“延喜元(901)年頃鎮座”とあります。
       *延喜式神名帳の成立は延長5(927)年と云われています。
広島県神社誌には、創建は不詳ですが天文年間・・・とあります。
それが一挙に延喜式神名帳成立前の延喜元年頃鎮座と書かれた新しい神社縁起案内板をみて(わたしは)驚き、見直したのです。
五日市八幡神社が、安芸国では、速谷神社、厳島神社、多家神社と肩を並べる古い神社だったといままで聞いたことはなかったからです。
(神話のように)神社鎮座年を語ればいいというものではないとわたしは思うからあえて取り上げました。
2015年若宮神社を訪ね参拝し、また、「瀬戸の川の説明板」を読んで、ここ五日市八幡神社を訪ね参拝しなくてはと思ったのです。
2016年コベルコ建機に移設されている油谷重工国民義勇隊慰霊碑を訪ねた後に、瀬戸の川・跡を北に歩き五日市八幡宮を訪ね、参拝し撮影しましたのでこの頁を編集しました。
16.07.08.裕・記編集

16.06.28.撮影
広島市佐伯区五日市6-3-13

16.06.28.撮影
新しい「神社縁起案内板」のようでした

16.06.28.撮影

16.06.28.撮影
社殿

16.06.28.撮影

16.06.28.撮影
拝殿・幣殿を≒南側からみました

16.06.28.撮影
本殿:三間社流造、銅板葺(間口一間半、奥行二間)

16.06.28.撮影



「神社寺院など」編



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五日市八幡神社
  (摂社)五日市貴船神社
  (末社)五日市護国神社
(海老山鎮座当時)五日市貴船神社


「旧(佐伯郡)五日市町」編


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