常助は、紅葉谷にある旅館「岩惣」の女将からもみぢを形どった饅頭作りの依頼を受け、菓子店「高津堂」で1906(明治39)年頃に完成させ、その後岩惣とコンビで販売しました。
常助が亡くなるとほぼ同時期に高津堂と元祖もみぢ饅頭は一代で終わりました。
2009(平成21)年常助の孫にあたる宏明によりここ宮島口で再開しました。 |
常助は、紅葉谷公園入口付近に店舗を構え、製造販売しました。間口の大きな店で、大きな木製の看板には、元祖もみぢ饅頭 高津堂と書かれていました。店に入ると二間幅の焼きかまど、横には道具掛けや商品を並べる棚、包装台などがあり、道路からも見え、焼き立てが買える魅力で盛況でした。 |
図面をもって何度となく大阪に出向く
「高津堂」の常助は、もみぢを形どったもみぢ饅頭を1906(明治39)年頃に完成させました。
味は、小豆を大釜で炊きジャッキで締めて漉(こ)した餡は甘さが口に残らない為二つ目につい手が出るほどの好評でした。饅頭は経木に包み、上にラベルを貼りました。ラベルには「元祖 もみぢ饅頭」と墨書きされていました。
1910(明治43)年7月18日には、商標登録「紅葉形焼饅頭」を獲得しました。
製造販売も軌道に乗り、常助は職人養成にも力を注ぎ、のち宮島菓子組合長も務めました。 |
※高津堂の店に貼出されていた‘もみぢ饅頭’の由来書きを参照しました |