おおがしらじんじゃ
大頭神社

  (現在)廿日市市大野に鎮座している「大頭神社」です。
※古くは、厳島兼帯七社の一社でした。
祭神:大山祇命(おおやまづみのみこと)、国常立尊(くにたちのみこと)、佐伯鞍職(さえきのくらんど)
厳島神社の摂社として推古天皇11(603)年に創祀されたと伝え、古くは厳島兼帯七社の一つとされました。もと郷桑原に鎮座でしたが大正2(1913)年現在地に遷座しました。
楽音寺蔵「安芸国神名帳」に佐西郡二位五前として大頭明神とある古社です。
正安2(1300)年の「伊都岐島社末造殿舎造営料言上状」に大頭社一宇三間一面、同戎殿一間一面、同拝殿一間一面、庁屋五間一面、御供屋三間、鳥居一基と記されており鎌倉時代は多くの社殿が建ち並んでいたことが知られています。
また、平清盛の頃から毎年五十三石余を奉納され、毛利元就の時二十三石、福島正則の時十六石、江戸時代に至り十二石の社領を有していました。寛永14(1637)年再建の棟札を蔵しています。
(特殊神事)
四鳥しちょうの別れ
旧暦9月28日に斎行されていました。
厳島の神烏四羽が飛来し、烏喰祭(とぐいさい)の後、親鳥二羽は紀州熊野へ帰り、子烏二羽は厳島の弥山に残って次の一年間の祭を受ける。
これにより古くから大野町は別鴉郷(べつあのさと)と呼ばれています。
2008年になって宮島七浦巡りの観光船に乗り、『御鳥喰式(おとぐいしき)が、青海苔浦神社と山白浜神社の間に鎮座する「養父崎神社」の沖100m〜300mの海上に小さな筏を浮かべ、米粉を海水で練った粢団子六つが献じ。距離を置いて、船上から見守る神職たち。笛で楽を奏し、神鴉(ごがらす)の飛来を待ち粢団子を咋うことを見守ること』だとその場所辺りを通ったのです。また、廿日市宮内の宮内天王社で「 神烏の石」をみて、四烏の別れの伝承を知ったので、この大頭神社へお参りに行こうと思ったのです。2009年になりましたがお参りに行きました。
09.10.18裕・記編集

09.09.08撮影
広島県廿日市市大野5357 (旧・佐伯郡大野町字滝ノ下) 

09.09.08撮影

09.09.08撮影

09.09.08撮影

09.09.08撮影
拝殿から本殿をみる

09.09.08撮影



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