(似島)慰霊碑

  南区似島町の似島中学校(校外の)南東隅に建立されている「(似島)慰霊碑」です。 
1971(昭和46)年11月似島中学校農業実習地から推定517体の遺骨と推定100体分の骨灰、
           その他の遺品が発掘されました。
1972(昭和47)年11月原爆で亡くなった方々の冥福を祈り、平和を祈念して、慰霊碑が建立されました。
1990(平成2)年9月には、旧陸軍馬匹検疫所焼却炉跡からスコップ300杯分の骨片、骨灰が発掘されました。
2004(平成16)年には、推定85体分の遺骨と65点の遺品が発掘されました。
2006(平成18)年8月ここで取り上げた新たな慰霊碑として移設整備されました。(現在の慰霊碑の地)
昭和20(1945)年8月6日 広島市は人類最初の原子爆弾によって、一瞬のうちに20数万人の死傷者を出しました。
ここ似島にも、応急看護の甲斐もなく死亡者が続出し、混乱のなかとはいえ、一部は仮埋葬のなかでこの地に眠り、悲しくも数十年の歳月が過ぎました。
昭和46(1971)年11月似島中学校農業実習地から推定517体の遺骨と推定100体分の骨灰、その他の遺品が発掘されました。この慰霊碑は、1年後の昭和47(1972)年11月に原爆で亡くなられた御霊の冥福を祈り平和への誓いを新たにし、建立されました。
その後、平成2(1990)年9月 旧陸軍馬匹検疫所焼却炉跡からスコップ300杯分の骨片、骨灰が発掘されました。
平成16(2004)年7月 昭和46年の発掘場所に隣接した場所から、85体の遺骨と65点の遺品が発掘されました。発掘された遺骨は、平和記念公園内の原爆供養塔に納骨し、遺品は広島平和記念資料館に保管されています。
似島には、原爆投下直後に臨時救護所が置かれ約1万人の負傷者が運び込まれました。
ここで亡くなった人の冥福を祈る慰霊碑が建立されましたが、(最初の建立地は)敷地面積が22uと狭かったことで、従来の場所から約50mほど慰霊碑を移し、広さを150uとして。遺骨が見つかった経緯を書いた(この)説明板も新たに設置し、平成18(2006)年8月4日慰霊祭が行われたそうです。
関連頁: 広島市立似島中学校
資料をみてこの(似島)慰霊碑が建立されていることは以前より知っていましたが、子ども達は臨海少年自然の家に何度か行ったことがあることを聞いてはいましたがわたしは、今(2009年)回交流ウォーク探検隊ではじめて訪ねたのです。
説明板に刻まれている被爆59年後(2004年)の遺骨発見とそれに続く発掘作業のことはTV・新聞報道で見聞きしていましたので、この慰霊碑に頭を垂れることは、(わたしの)似島ぶらり散歩の主目的のひとつでした。
2010年4月訪ねた時、桜が満開でした。
2015年久しぶりに訪ね頭を垂れました。そして撮影しましたのでこの頁を更新しました。
また、以前は慰霊碑が建立され更地になったままだったところが2014年に「慰霊の広場」として整備されていましたので撮影し別頁で編集しました。
15.10.24.更新   09.03.24裕・記編集

09.03.07撮影
広島市南区似島町2250 似島中学校(外の)南東隅







 




































































































 


















































 











 


























 



















































 





09.03.07撮影

09.03.07撮影

10.04.15撮影
 2010年訪ねた時は桜が満開でした

15.10.10.撮影

15.10.10.撮影
(道路を挟んで)慰霊の広場  と  慰霊碑 

15.10.10.撮影

15.10.10.撮影
(碑を裏側からみました) 

15.10.10.撮影



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