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南区似島町字東大谷の広島平和養老館前に建立されている「(似島)原爆被爆者診療の地碑」です。 |
*いままで「原爆被爆者治療の地碑」と題していましたが、碑文を見直したとき診療でしたのでこの頁の題を訂正しました。 |
1945(昭和20)年7月暁部隊所属の病院船衛生第14班、53班を含む船舶衛生隊が似島検疫所に本部を移して間もなく、8月6日の原爆投下による負傷者が検疫所に収容されました。臨時野戦病院に指定された似島検疫所に配置されていた病院船衛生隊第53班も被爆者の治療、看護にあたりました。
このような歴史的事実の伝承と死没者の慰霊のためこの碑が建立されたそうです。 |
原爆被爆者診療の地(似島臨時野戦病院)
昇天の霊よ 永久に安らかなれ |
旧暁第6165部隊は昭和16(1941)年7月広島にて編成以来病院船に乗組み主に南方方面の傷病兵を輸送診療に従事していたが最後にこの地に於いて野戦病院を開設し一万人に及ぶ原爆被爆者を診療看護して復員する |
旧暁第6165部隊(病院船衛生53班)
西村幸之助外生存者 昭和53(1978)年5月3日建立 |
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この碑が建立されている地は、旧陸軍検疫所の臨時(野戦)病院の跡で被爆直後救護所が開設され約1万人の負傷者が船で運ばれ収容されましたが、十分な医薬品もなく、被爆者はつぎつぎと亡くなり、遺体の焼却などに追われる毎日であったそうです。 |
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資料をみてこの(似島)原爆被爆者治療の地碑が建立されていることは以前より知っていましたが、2009年はじめて訪ね、頭を垂れました。
第二検疫所跡地の一角に、養護老人ホーム「広島平和養老館」(戦後原爆で家族や親戚を喪って一人になった老人の施設として当初つくられたものです)が建っています。 |
2015年久しぶりに訪ね頭を垂れました。そして撮影しましたのでこの頁を更新しました。
以前みた時は、碑文文字が薄れてきていましたが、今回みると新しく墨入れされたようでした。 |
15.10.28.題訂正・頁更新 09.03.25裕・記編集 |