ばひつ 
旧陸軍運輸部 馬匹検疫所焼却炉跡

  南区似島町字東大谷の似島臨海公園内に移設一部が復元されている「旧陸軍運輸部・馬匹検疫所焼却炉跡」です。
※もともとは南区似島町大黄の地(現在・広島市営似島住宅になっています)に設置されていました。
1945(昭和20)年8月に似島に運ばれ亡くなった被爆者推定一千体の遺体を焼いたとされる旧陸軍馬匹検疫所跡地の馬体焼却炉(現在、広島市似島住宅地)を1990(平成2)年9月に発掘調査して、原爆死没者の骨片を収集したそうです。
1991(平成3)年、市民の要望により馬体焼却炉の一部を現在地に移設保存したものです。
旧陸軍運輸部馬匹(ばひつ)検疫所焼却炉  平成3(1991)年2月広島市
この遺構は、平成2(1990)年ここから約600m南にある似島住宅用地内で発掘された旧陸軍運輸部馬匹検疫所(軍馬の検疫・消毒を行う施設)の焼却炉の一部を移設したものです。
昭和20(1945)年8月6日広島市は人類最初の原子爆弾によって一瞬のうちに壊滅し、多くの死傷者を出しました。この(昭和20)年の12月末までに約14万人の人が死亡したといわれています。ここ似島にも約1万人の負傷者した原爆被爆者が収容されましたが、応急看護の甲斐もなく死亡者が続出し、その遺体がこの焼却炉においても火葬されたものです。
ここに原爆による被害の悲惨さを後世に伝えるとともに、恒久平和実現への誓いを新たにしてこの遺構を保存します。
関連頁: (現在の)広島市営似島住宅
多くの被爆者が亡くなり、(夏場だったので)その遺体を軍馬を焼却したというこの焼却炉でも火葬にせざっるをえなかったことを説明板を読み(いまは元の位置から移設されているとはいえ)レンガ造りの工作物をみながら・・・わたしは目頭が熱くなっていました。
漢和辞典を引くと、『馬匹(バヒツ)うま。易、中孚「馬匹亡、无咎」』とあり、ばひつと読むのでしょうが、どうも‘ばひき’とわたしは読んでしまうのです。
※漢和辞典に出ていた中孚(ちゅうふ:誠がある)「うまが死んでも、とがめることはない」ということでしょうか。
2015年久しぶりに似島を訪ね、ここ似島臨海公園に移設されている「馬匹検疫所焼却炉跡」も訪ねました。
説明碑の銅板が日焼けして黒くなって説明文が読みにくくなっていました。
この遺構がなんであるのか知らない人(わたしも以前そうだったのですが)にはなんだろうと思うだけになってしまうかもしれないな〜と思いました。
今回も撮影しながらこの軍馬を焼却した炉で被爆者の方々が火葬にふされたのだと思うと目頭が熱くなっていました。今回撮影した画像を加えこの頁を更新しました。
15.10.26.更新     09.05.04.裕・記編集

09.03.07撮影
広島市南区似島町字東大谷182 (似島臨海公園内)

09.03.07撮影

09.03.07撮影

09.03.07撮影

09.03.07撮影

15.10.10.撮影

15.10.10.撮影
(2015年説明板をみた時、経年の日焼けで説明文が読みにくくなっていました)

15.10.10.撮影

15.10.10.撮影

15.10.10.撮影

15.10.10.撮影

15.10.10.撮影



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