(湯来温泉)藤乃家橋

  佐伯区湯来町多田を流れる打尾谷(うつおだに)川に架かる(下段に地図)「藤乃家橋」です。
※湯来温泉街が打尾谷川沿いにあり、そのここの旅館に行くのにここに橋が架かっており、この「ふじのやばし」は藤乃家旅館専用の橋です。
湯来橋から上流側をみたとき、赤く塗られたいくつかの橋が見えました。近くに行くと旅館への導入橋でしたので、それぞれの旅館が架橋した橋かなと思ったのです。
1889(明治22)年4月1日4月1日町村制の施行時、
         多田(ただ)村+菅沢(すがさわ)村=上水内(かみみのち)村となりました。
1950(昭和25)年11月23日温泉開きが行われ「湯来温泉」と命名されました。
1955(昭和30)年7月4日厚生省指定国民保養温泉地となりました。
1956(昭和31)年9月30日砂谷(さごたに)村+水内村+上水内村=湯来(ゆき)町が発足。
2005(平成17)年4月25日湯来町が広島市に編入、佐伯区湯来町になりました。
2015年交流ウォーク先輩の増田先生に、湯来町に建立の慰霊碑を案内していただいたのです。
2番目に訪ねた「上水内村慰霊碑」のあと、湯来ロッジで昼食を摂った後に湯来温泉をぶらりしたのです。
打尾谷川にかかる橋、湯来温泉橋、湯来橋と撮影し、上流を見た時いくつかの橋が見えました。
一般道の橋もありましたが、旅館へ専用の橋が架かっていることに興味を惹かれ旅館専用橋として頁を編集しようと思い撮影しました。
2018年3月4日中國新聞に“湯来温泉 宿細る”という記事で
ここで取り上げた「藤乃家」旅館が昨(2017)年12月に営業をやめたことを知りましたので追記しました。
この橋の行く末も心配ですが。
1970年代には10軒ほどあった民営温泉宿が、2013年3軒に減り、(やはり2009年湯来ロッジの建替での民業圧迫などもあり)いまや1957(昭和32)年創業の「河鹿(かじか)荘」一軒になったそうです。
湯来ロッジから打尾谷川沿い(いまや温泉街とは云えないでしょうが)河鹿荘までを回遊する人を増やす方策を民業圧迫した湯来ロッジ(広島市おもてなし推進課ともども)は提案実施する責任があるのではと(わたしは)思った記事でした。
18.03.05.更新    15.12.15.裕・記編集

15.11.21.撮影
広島市佐伯区湯来町大字多田 湯来温泉

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影
ふじのやばし 

15.11.21.撮影
 


「橋梁など」編



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湯来温泉橋
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(湯来温泉)藤乃家橋


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