湯之山観音

  佐伯区湯来町和田の“湯の山温泉”の入口の処に安置されている「湯之山観音さま」です。
*設置由来歴(下記)を読むと数奇な観音さまということがわかりましたので、この頁を編集しました。
湯之山観音由来歴          昭和36(1961)年5月8日 湯之山観音奉賛会 
    当観音菩薩は、身の丈二尺四寸一分の木造観音です。
今をさる千百年前平安朝時代菅原道真(845-903)公が九州大宰府のほとりに作られたと伝えられる観音堂に安置され不思議な佛力により多くの信者を救い広く他国の人も参拝祈願する有様でした。
斯くて明治時代に至り、廃佛毀釋の憂目にあい参拝者も途絶えがちとなりましたが、広島の某信者が当観音の佛力により不治の眼疾が恢癒した因縁を以て其の地氏神社を建立し当ご本尊を広島市本川町の自宅に迎え御堂を建てて是を祀って安楽な日々を送り他界しました。
その孫が、昭和20(1945)年8月6日知己の高田郡小田村谷本家へ御本尊を疎開させた処、たまたまその日が原爆のため広島市の家屋は全焼しましたが、一族は生命を全うすることができました。これ一重に当観音菩薩の不思議な佛力によるものと感じ、これを谷本家に寄贈しました。
谷本家に於いては其後此の御本尊を奉じ世界平和のために努力しておられましたが、此の度、香川源兵衛氏の協賛のもとに湯之山温泉の守護佛・湯之山観音として遷座されたのです。
今回の湯来町での“原爆関連の慰霊碑”最後で三番目の“湯来町原爆死没者慰霊碑”から四番目になる湯来東小学校前の“水内村慰霊碑”へ行くとき、増田先生が(旧道を通って)湯来の山温泉へっ少し立ち寄ってみるかと云って下さったのです。
「湯の山湯治場」が(広島)浅野藩藩指定の湯治場であり藩主が湯治にきていたと聞いていたので、車から降りてここだったのかと思ったのです。
広島市教育委員会の「湯の山明神社旧湯治場」の説明板が設置されていましたので、この頁下段に掲載しました。
ここで取り上げた「湯之山観音」はもともとは九州大宰府から明治期の廃仏毀釈で広島市に移され、原爆その日高田郡の方に疎開されたことで今に至るまで残っておられるという数奇な出来事に遭われた観音さまと知りましたので、この頁を編集しました。
15.12.05.裕・記編集

15.11.21.撮影
広島市佐伯区湯来町和田  湯の山温泉

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影
「湯の山明神社旧湯治場」の説明板



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