(宇品海岸通りに展示の)安芸ノ海関連パネル

  南区宇品海岸二丁目の通りに面してと、(市営桟橋待合室がある)広島海上ビルとに“宇品通実行委員会”によって展示している「安芸ノ海関連のパネル」をこの頁では取り上げました。
安藝ノ海節男(あきのうみ せつお:1914-1979)
大相撲第37代横綱。広島市宇品町(現:南区宇品海岸)の永田船舶食料商の長男として生まれる。
宇品尋常高等小学校で学び、(広島市)市営桟橋界隈で家業の重荷運びに励み、強靭な身体を礎きました。
1932(昭和7)年2月場所に出羽海部屋から永田節男の四股名で初土俵。
1933(昭和8)年序二段の時、中國新聞・山本実一(1890-1958)社長が名付け親となり「安芸ノ海」と改名。
1936(昭和11)年1月場所新十両、1938(昭和13)年1月新入幕。
1939(昭和14)年西前頭3枚目の1月場所4日目69連勝中の横綱双葉山(第35代:1912-1968) と初対戦に左外掛で勝ちました。
1940(昭和15)年関脇の5月場所14勝1敗で初優勝(優勝はこの時のみ)。
1941(昭和16)年1月大関に昇進。
1943(昭和18)年1月に照国(第38代:1919-1977)と共に横綱に昇進。
しかし、大陸慰問巡業中にマラリアに感染、体調を崩したことから1946(昭和21)年11月に引退、37代横綱。
その後、年寄不知火、藤島になり、1955(昭和30)年廃業。
うじな通実行員会副委員長で交流ウォークの増田先生に、37代安芸ノ海銅像の建立運動がありその前に、安芸ノ海に関するパネルを展示するということを聞いていましたので、2015年宇品地区の原爆関連の慰霊碑を訪ねた時に見ましたのでこれだなと思って撮影しました。
10月になって金輪島の原爆死没者慰霊碑を巡った時に、市営桟橋待合室根際の壁に展示のパネルもみましたので撮影していました。
安芸ノ海の銅像建立の報は聞いていませんが、2016年のいまにになりましたが、この頁を編集しました。
16.10.09.裕・記編集

15.09.12撮影
広島市南区宇品海岸2-22 集会所建屋横

15.09.12撮影
( 展示パネルの写真を使用しています)

15.09.12撮影

15.09.12撮影

15.09.12撮影
現在は南道路の整備拡張で昔の面影は全くありません

15.09.12撮影
 

15.10.04撮影
広島市南区宇品海岸2-23-36-5 公民館建屋横広島海上ビル

15.10.04撮影
 市営桟橋待合室根際の壁に展示されています。  宇品港の整備についての記述もあります。

15.10.04撮影
 (展示パネルの画像を使用しています)

15.10.04撮影
  (展示パネルの画像を使用しています)

15.10.04撮影
 展示のパネルに(近くに陸軍運輸部があることで、金輪島を消した)市営桟橋の画像がありました

15.10.04撮影
現在の市営桟橋です。(画像左にみえる))金輪島に渡るときに撮影しました



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(宇品海岸通り展示)安芸ノ海関連パネル


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