江波焼

  (現在の)中区江波で過って焼かれていたという「江波焼」を取り上げました。
広島市文化財団文化科学部の資料によると
『江波焼とは、現在の広島市中区江波で1828(文政11)年から1872(明治6)年頃にかけて焼かれたました。しかし、残された資料が少ないので“幻の焼き物”と云われています。』と云っています。
江波焼(えばやき)
中区江波二本松付近の江波皿山東南麓にある(あったとされる)窯跡で、江戸時代文政(1818-1830)末年から幕末までの約40年間に焼成された皿、茶碗などの日用雑器の染付磁器。
昭和初期の埋立工事で窯跡は焼失していますが、芸藩の執政・今中大学の日記などの古文献によると1829(文政12)年4月に真菰(現在の市役所付近)の別荘に窯元油屋忠右衛門と職人5人を招き製陶術を見学した記述や、藩主、重臣らの皿山見分の記録があります。
近年江波地区で「」天保九年」の年号と陶工名のある湿台(しった:皿の裏削りをする道具が発見され、海宝寺の過去帳でもその名が確認されています。)
江波焼の染付は山水図が多く。手数を省いた余白のある絵、稚拙な筆法とダミ(ぼかし染付)が特徴で、ほとんど裏白皿(裏染付のない皿)、であり、器型も高台や目跡がやや雑で浅く、皿など歪を補う波状の輪花皿が多いそうです。
2010年交流ウォーク(西区)草津の時山口商店(以前は酒販売をされていたそうです)でいろいろなものを拝見させていただいた中に、ここで取り上げた江波焼の皿が展示してあり撮影していました。
2011年交流ウォークの時(地元の)Mさんに便所壁に江波焼の皿が埋め込まれている事を教えていただき、“江波山公園公衆便所”の頁を編集しその中にその江波焼の事も広島県大辞典を参照して江波焼について記述していました。
2013年広島城を見学した時その中に伝・江波焼の皿が展示されていましたので撮影していました。
2015年原爆関連の慰霊碑「母子愛・碑」を久しぶりに撮影に行った時、公衆便所壁に嵌め込まれた江波焼も撮影しましたので、江波焼の頁としてこの頁を編集しました。
 15.08.30.裕・記編集

11.04.09.撮影
広島市中区江波二本松〜江波南 江波山公園     (便所の壁に江波焼の皿が嵌めこまれています)

11.04.09.撮影
江波山公園  便所壁に江波焼が嵌め込まれています

10.11.28.撮影
西区草津の山口商店の江波焼を撮影しました

13.05.013.撮影
広島城に展示の伝・江波焼を撮影しました



「その他」編



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江波山公園
(公園内)公衆便所
江波焼


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