加藤陽三先生顕彰碑

  安芸郡海田町上市の海田町加藤会館前に建立されている「加藤陽三先生顕彰碑」です。
※隣に「加藤会館敷地寄附之碑」が建立されています。
正面: 加藤陽三先生顕彰碑
   灘尾弘吉書  (1889-1994:大柿村出身、元文部大臣
など)
裏面: 加藤陽三先生は元町長加藤次一氏の長男としてこの地に生誕され地域社会に役立てるために寄附されました。
経歴
明治43年1月29日生 (1910年安芸郡海田市町生まれ)
東京帝国大学法学部卒業 (1934年)
防衛庁事務次官 (1963年)
衆議院議員 (2期:1969-1976)
防衛庁政務次官 (1975年)
従三位勲三等旭日重光賞受賞 (1980年)
〔1989(平成元)年6月5日死去〕
海田町名誉町民 (2004年)
加藤陽三(1910-1989)
実績           (海田町新庁舎1階名誉町民展示によると⤴)
日本の平和と安全の為の基礎づくりに貢献するとともに、本町の旧軍用地(進駐軍接収用地)の日本政府への返還を実現させ、その地に企業を誘致することにより今日の海田町繫栄に基礎をつくる。
また、海田西小学校の建設に際しての自衛隊幹部宿舎の移転、本町の治水の要である尾崎川排水施設新設事業など各般にわたり故郷づくりの先駆者として大きく貢献された。
正面: 加藤会館敷地寄附之碑
敷地 426.15㎡
家屋 157.81㎡
  平成三年三月吉日建立   (1991年)    
海田町略歴沿革
1889(明治22)年4月1日町村制施行で、安芸郡海田市町と安芸郡奥海田村が発足。
1952(昭和27)年6月旧奥海田村が町制施行して安芸郡東海田町となりました。
1956(昭和31)年9月30日海田市町+東海田町=安芸郡海田町が発足しました。
旧西国街道沿いで、旧海田町庁舎近くの加藤会館前に建立のこの顕彰碑は、昔から知っていましたが撮影して頁を編集することもなかったのですが、2023年新庁舎を撮影している時、一階玄関ホールに海田町名誉町民として、織田幹雄さんと加藤陽三さん(上記画像)の写真入りパネルが掲載されていました(ので)。
機会があれば撮影して頁を編集しようと思ったのです。
 25.02.11.裕・記編集

24.02.29.撮影
広島県安芸郡海田町上市4-14 加藤会館(広島安芸商工会本所)前

24.02.29.撮影
加藤陽三先生顕彰碑 と 加藤会館敷地寄附之碑

24.02.29.撮影

24.02.29.撮影
顕彰碑:正面 裏面

24.02.29.撮影
前の路が旧西国街道



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