(中野東)あと道・道標

  安芸区中野東の城平川根際に設置されている「あと道・道標」です。
この道標(「左ハあと道」と刻まれた)は、道路拡張で1993(平成5)年頃現在地に移築されています。
以前は、現在地よりすっと下にあったそうですが、道標としての役割である、熊野跡村(現在の阿戸町)への道案内としての標識としては同じ役割をしています。
この道標は、中野東(平原)から阿戸町へ鉾取山(711.5m)と坂山(499.8m)の間の峰を通り、阿戸(桝越)に抜けていく道(山道)を示しています。
今(2014)年3月わが地区の中野公民館と瀬野川郷土史研究会共催の「ふるさと教室」に参加させていただいた時、この道標が移築されたのが1993年頃と教えていただいたのです。
移築前の場所は車で時々通っていますので知っていましたが、移築されたいまの処付近に来たのは今回が(わたしは)はじめてでした。
熊野跡村(くまのあとむら)
阿戸村:江戸期から1889(明治22)年までの忖名。
1889(明治22)年4月1日市町村制施行により阿戸村から(賀茂郡)熊野跡村となりました。
1951(昭和26)年3月1日賀茂郡から安芸郡に変更。
1974(昭和49)年11月1日安芸郡広島市に編入されて消滅。
    *この際町名は、熊野跡町とはならずに昔の村名である阿戸町になりました。
賀茂郡には、2つの阿戸(あと)村が存在していたので、両方とも近くの村の名前をとって区別したことによります。なお、もう一つの阿戸村は賀茂郡内海跡村(うちのうみあとむら)です。
    「賀茂郡熊野跡村」と「賀茂郡内海跡村(うちのうみあとむら)」
わが町・中野東から峠を越えて阿戸町に行く道がある事は安芸区役所発行「安芸区魅力の山歩道・鉾取山」まっぷなどで僅かな知識がありましたが、ここで取り上げた道標の事は今回の「ふるさと教室」で教えていただかなければ、知らないままだったことでしょう。
14.04.21.裕・記編集

14.03.15.撮影
広島市安芸区中野東6-55付近(城平川根際)

14.03.15.撮影

14.03.15.撮影
(移設前の位置)

14.03.15.撮影
広島市安芸区中野東6-16付近 (移設前の位置は電柱根際)

14.03.15.撮影



「道標など」編



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