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安芸区中野東の建てられている「薬師堂」です。 |
薬師如来像が安置され、「平原の薬師」と称され。目の病が治ると伝えられています。
創建は不詳ではありません。当初は藁屋根のお堂だったそうです。
1898(明治31)年桟瓦葺で、(棟梁:押手の原謙蔵、木挽り:平原の角畑庄平、世話方:城平・合路講中の36名の名が書かれた奉納額があり)再建されました。お堂内には1952(昭和27)年3月桝越峠道路改修記念奉納額が架けてあり、それには村長であった三戸俊美の名がみえたそうです。
今(2014)年3月29日開通した東広島バイパス道が境内にかかり、建物が撤去され、薬師如来さまは退避を余儀なくされました。
2013(平成25)年暮、現在地に新しく軽量鉄骨造で折版の金属製屋根のお堂を建て新しいお社にお移り願ったそうです。 |
※木挽き(こびき)≒木材をのこぎりでひいて用材に仕立てること。また、それを職業とする人。 |
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今(2014)年3月わが地区の中野公民館と瀬野川郷土史研究会共催の「ふるさと教室」に参加させていただいた時、この薬師堂の事も教えていただきました。 |
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中野東に住んでいながらこの薬師堂の事も知らなかったし、この辺りに来たこともなかったわたしでした。
この新しいお堂になった(平原の)薬師堂を教えていただき、あと道の道標をみて、もともとあったといういまは東広島バイパスになっている処まで案内していただきました。
ふるさと教室のこの日(3月15日)は開通(3月29日)間近で車が走っておらず、静かな環境の中での散策でした。 |
14.04.22.裕・記編集 |