上瀬野信号所跡

 安芸 区上瀬野町大山に開設されていた「上瀬野信号所」で、現在はその残り香はほどんどありませんが、この頁で取り上げました。
1894(明治27)年8月10日山陽鉄道により糸崎駅~広島駅間が単線で開通しました。西条駅-瀬野駅。
1895(明治28)年4月4日八本松駅開業。(八本松-瀬野駅となりました)
1906(明治39)年12月1日山陽鉄道が「国有化しました。
1912(大正元)年11月20日八本松駅-瀬野駅間(連続急勾配区間)に上瀬野信号所が開設されました。
  ※輸送量増強のため待機線として10.6km間のほぼ中間地に設置されたようです。
1922(大正11)年4月1日信号場に改称。
1922(大正11)年11月20日瀬野駅-安芸中野駅間複線化。11月30日西条駅-八本松駅間複線化。
1923(大正12)年3月30日八本松駅-瀬野駅間が複線化。(事実上信号所としては廃止)
1939(昭和14)年8月21日上瀬野信号場廃止。
瀬野川域郷土史懇話会発行「瀬野歴史散歩マップ」に紹介があるので、訪ねてみようと思ったのです。
この「上瀬野信号所跡」は旧西国街道(と鉄道路線とは高低差があるとはいえ)の根際にあり、近くの万葉歌碑は2008年、2011年撮影し頁を編集していたのにここで取り上げた「上瀬野信号所」のことは知らなかったからです。
JR貨物が2021年12月28日(火)に山陽本線(上り線)・瀬野~八本松間のこの辺りで脱線事故を起こしたのです。
この事故で、安芸中野~西条区間は、全面運休となり代行バスが運行されていました。12月31日昼から(やっと)運行が再開されましたが、ここ信号所跡地が事故復旧工事の拠点になったようでした。
運行が再開された12月31日午後、東広島市西条からの帰りに撮影しましたので、この頁を更新しました。
22.11.23.更新   17.01.07.裕・記編集

17.01.06..撮影
広島市安芸区上瀬野町上大山

17.01.06..撮影

17.01.06..撮影
引き込み線

17.01.06..撮影
引き込み線の隣は現在の山陽本線(下り線)と向側:上り線

17.01.06..撮影
引き込み部分を(少し離れて)みました

17.01.06..撮影
引き込み線--山陽本線下り線--引き込み線--山陽本線上り線

17.01.06..撮影

17.01.06..撮影
2021年12月31日撮影(12月28日この辺りでJR貨物車脱線事故)
JR貨物が2021年12月28日(火)に山陽本線(上り線)・瀬野~八本松間のこの辺りで脱線事故を起こしたのです。
この事故で、安芸中野~西条区間は、全面運休となり代行バスが運行されていました。
12月31日昼から(やっと)運行が再開されました。
大晦日息子たちと正月の買い出しなどで東広島市西条町に行き(国道2号)帰り道に、この鉄道橋にも立寄って撮影しました。
脱線貨物列車  12月28日広島(タ)⇀東京貨物(タ)行  1068レ。
コンテナ車23両、機関車前本務機EF210-2 後補機EF210-313、脱線貨車コキ106-407 12両目。

TVニュースをみて、ここから下り側の鉄道橋の上からこの辺りまでも貨物列車が留まっていましたので、立寄ってみたのです。
この事故復旧の材料などのストックや保線車両の停車場所としてここ上瀬野信号所跡が拠点になったようでしたので、この頁に追記したのです。

21.12.31..撮影
脱線事故で取り換えられた残り?のコンクリート製枕木
(この日やっと昼から運行が再開したそうで)山陽本線下り線に貨物列車が通っていました

21.12.31..撮影
上瀬野信号所跡地へ上がって行きました

21.12.31..撮影
こんどは、山陽本線下り線(も)再開し走るシティー電車をみました

21.12.31..撮影
脱線事故復旧工事をになったであろう保線車両が留まっていました

21.12.31..撮影
引き込み線--山陽本線下り線--引き込み線に留まっていた保線車両--山陽本線上り線

21.12.31..撮影
引き込み線に留まっている保線車両:08-16/32
保線車両 08-16/32
『保線を行う車両で、線路の上下および左右方向の狂いを修正しバラストを締め固めるそうで、マルチプルタイタンパー(通称マルタイ)。』だそうです。
保線車両ということはわかりましたが、“JR 08-16/32”でNET検索してHITした頁を参照しました。

21.12.31..撮影
引き込み線に留まっている保線車両:Plasser&Theurer
保線車両 Plasser&Theurer (Wikipediaによるとメーカー名だそうです。
『プラッサー&トイラー (Plasser & Theurer) は、オーストリアの線路工事用重機メーカー。
本社をウィーン、工場をリンツに置き、欧州周辺の鉄道をはじめ、ロシア、アフリカ、中南米、アジア、そして日本にも輸出している世界規模の保線機械メーカーである。1953年にオーストリアで設立。
欧州では同業他社としてスペノ社とマティサ社(共にスイス)があるが、世界の鉄道の大半ではプラッサー&トイラー社の製品が採用されている。
日本では1971年、プラッサーグループの日本法人として日本プラッサー株式会社(豊島区駒込)を設立。旧国鉄(現・JR)、日本の私鉄をはじめ公共公団との関わりも深い。』そうです。
保線車両ということはわかりましたが、日本製ではなかったのです。
上瀬野信号所跡地付近の地図
上瀬野信号所跡付近



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