(旧中野村平原地区名由来)平原家の墓じまい

  安芸区中野東(旧中野村平原)に建立されている「(平原地区名由来)平原家墓地」を取り上げました。
※法名板に安永五(1776)年が一番古い法名が刻まれ、平成14(2002)年が最後の刻まれた方でした。
※令和元(2019)年7月に墓じまいされました。
広島県地名辞典によると
中野<安芸区>
瀬野川の河谷に位置する。「延喜式」の荒山駅は中野・畑賀あたりに比定される。
〔近世〕中野村 江戸期~明治22年の村名。安芸国安芸郡(もと安南郡)のうち。広島藩領。
村高:元和5(1619)年、1,666石余。
貞享元(1684)年戸数289戸、人数1,440人。
文化12(1815)年戸数699戸、人数3,546人
.「国郡志書出帳」によれば、農間余業として婦人は綿賃繰・木綿織延べ、木綿が売買され、往還筋には店小商・諸職人おり。木綿は享保年間(1716-1736)より稲作に匹敵する作物になったらしい。
山陽道(西国街道)が通る瀬野川右岸側(往還筋)ではなく瀬野川を挟んだ平原地区は戸数、人口とも往還筋に比べれば極端に少なかったとわたしは思いながら地名辞典を引いたのですが。
2018年7月6日西日本豪雨では、わが家から下った処の国道2号(瀬野川の)堤防が崩壊し、国道2号は交通止めになり、山陽本線も長いこと不通になったのです。
崩壊した瀬野川堤防の仮復旧工事を定期的に撮影するのに近道として(この時初めて)里道を通って行っているときに、ここで取り上げた「平原家の墓地」にであったのです。
法名板をみて、ここ平原の地名由来の平原家の墓地だなと思って撮影していました。
2018年以来近道として通っていたのです。
2019年7月になって、墓石が撤去されており、整地されていたのです。
作業している作業員の方に声をかけると、墓はお寺に改葬し、ここは整地しコンクリート床にするのだとの返答でした。平原家はすでにこの地から離れておられ、墓じまいをされたことを知り撮影しました。
わたしは平成になって移り住んだ新住民ですので、この地の古くからの伝承を知らないのですが、平原の地名に由来するであろう平原家の墓地を取り上げたのです。
19.10.22.裕・記編集
江戸時代の古地図     中野村枝 平原

18.07.15..撮影
 広島市安芸区中野東6-8付近  平原家墓地

18.07.15..撮影

18.07.15..撮影
 (平原家法名碑)

18.07.15..撮影
 墓じまいされました

19.07.03..撮影
(墓石が撤去されコンクリート舗装されました)

19.07.03..撮影

19.07.03..撮影



「広島ゆかりの人たちのお墓」編



広島ぶらり散歩へ
「わが町(旧・瀬野川町)附近」編


inserted by FC2 system