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東区二葉の里の“二葉の里第二公園”に建立されている「二葉の里桜並木復活記念碑」です。 |
江戸時代、広島東照宮〔慶安元(1647)年造営〕から猿猴橋東詰の松原に至る参道両側に続く桜並木は、広島城下随一の桜の名所でした。この並木は「桜の馬場」とも呼ばれ、広島城下の地誌“知新集”には、開花の季節には多くの人が押し寄せ「たくひなき壮観なり」と記されています。
明治二十三(1890)年東練兵場の開設により桜並木は失われたものの、大正時代、有志の寄附により桜の木が再び植えられました。しかし、戦前の絵葉書にも見られるほどの並木も、原爆により再び姿を消しました。
戦後、この一帯は官舎などが立ち並ぶ住宅地となりましたが、平成時代に入り、広島駅北口周辺を含めて二葉の里一帯に新しい街づくりが計画され、広島東照宮下から南に向けて遊歩道、東西に連なる二葉の里歴史の散歩道区間の一部に桜を中心とした並木をつくり、広く市民の憩いの場とすることが企画され、ここにその実現をみたものです。 |
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江戸時代の東照宮の桜並木(広島城下絵屏風)(広島城所蔵) |
戦前の絵葉書(広島市公文書館蔵) |
この経緯を後世に伝え、永遠の継承を願って、ここに復活記念碑を広島青年緑化協会等のご厚意により設置しました。
題字 広島市長 松井一實 書
平成三十一(2019)年四月二十六日 NPO法人二葉の里に桜並木を復活させる会 |
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関連頁:「二葉の里に桜の並木を復活させる会」掲示板 |
コロナ禍の2022年近くに来たので、被爆クスノキを見ていこうとここ二葉の里第二公園に立ち寄ったのです。
その時、以前はなかったここで取り上げた「「二葉の里桜並木復活記念碑」が入り口横に建立されていたので撮影したのです。
松井市長が題を揮毫していましたが、石の色にかき消されるようでした。 |
23.03.02.裕・記編集 |