西晋一郎博士旧宅之跡・碑

  中区上幟町の電車通りに面するビルの外壁に説明板があり、そこから少し入ったところに建立されている小さな石柱が「西晋一郎博士旧宅之跡」碑です。
正面 西晋一郎博士旧宅之跡
裏面 昭和三十六年三十八年十一月十三日
西晋一郎先生廿周忌記念事業會
昭和36年=1961年
The site of Ph.D.Shin-ichiro Nishi's house
  文学博士・西晋一郎(1873-1943)は、明治32(1899)年東京帝国大学を卒業したのち、同大学院を経て明治35(1902)年創設の広島高等師範学校教授となり、昭和4(1929)年広島文理科大学教授を併任。昭和15(1940)年に依願退職するまで、当地・広島において哲学や倫理学を教授しました。西博士は、わが国古来の神道、儒教、仏教の伝統に、西洋哲学の精密な思索による理論を結びつけ、これらの思想を実践哲学に体系化した学者として知られています。
記念碑は、この通路を20m入った左側にあります。
にししんいちろう
西晋一郎
1873-1943
倫理学者、文学博士。鳥取県鳥取市出身。東京帝国大学卒業。西順蔵(中国思想史家:1914-1984)の父。1902(明治35)年広島高師教授。1929(昭和4)年広島文理科大学教授。
少年時代から漢学、特に宋学の精神を受継ぎ老荘の思想や仏教哲学を究め、さらに西洋哲学、倫理学を研究し独自な学説を樹立しました。ともすれば西洋の思想、文化こそ世界的普遍的なものとする当時の風潮に対し鋭い批判となり国民的自覚を深めることになり思想界、教育界に置いてその高潔な人格とともに尊信崇敬されたそうです(東洋道徳と西洋道徳の折衷主義に移行していったそうです)。著作に「倫理学の根本問題」「東洋倫理」など。
(哲学にも疎い理工系で育ったわたしは)西晋一郎のことは、名前だけは何かの資料でみたことがあるだけでした。
2012年2月縮景園から白島まで(電車通を)歩いていた時、ビルの壁に取り付けてあるステンレスプレートに気が付き立ち止ったのです。ここを過去何度も通ったことがあったのに、漠然と歩いていたのでしょう、いままで気が付かなかったのです。
立ち止り読むと西博士の旧宅跡・碑が建っているとありましたので、通路を入ってみましたが、自転車置き場となっているようだな〜と思って奥の方に行くと自転車の間から石柱が見えましたのであれだなと近づき撮影しました。
12.06.11裕・記編集

12.02.04.撮影
広島市中区上幟町2-2-22

12.02.04.撮影

12.02.04.撮影

12.02.04.撮影

12.02.04.撮影

12.02.04.撮影
敬称は略しました


「広島ゆかりの人たちの石碑など」編 広島ぶらり散歩へ


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