尼子三兄弟ゆかりの墓

  安芸高田市向原町長田下地に建立されている「尼子三兄弟ゆかりの墓」です。
尼子三兄弟ゆかりの墓     昭和57(1982)年3月  向原町教育委員会
俗にいう「尼子三兄弟の墓」はここから北西方約400mの山中にあります。
長年にわたる毛利と尼子の攻防の結果、永禄9(1566)年尼子氏はついに毛利元就(1497-1571)に降服して、義久(よしひさ:1540-1610)・倫久(ともひさ:1546-1623)・秀久(ひでひさ:?-1609)の三兄弟は11月28日出雲国富田城(月山富田城;がっさんとだじょう)を出ました。
三兄弟は隨従を許された人々とともに毛利の将兵に護られて、杵築(大社町)、田儀(多岐町)、河合(大田市)、河本(川本町)、出羽(瑞穂町)、横田(美土里)を経て12月14日にここ長田に到着しました。ただちに円明寺に入り、当地の内藤元泰によって厳重に監視されました。
三兄弟らは毛利氏から懇切に待遇され、この長田の地で23年間を過ごしました。
その後、志路(白木町)に移され、さらに毛利輝元(1553-1625)の萩移封とともに長門(山口県阿武郡阿武町奈古)に転じてそこで歿しました。
したがって、云い伝えられている尼子三兄弟の墓は、隨従の重臣の墓であろうと考えられています。
なお、三兄弟幽閉の円明寺の屋敷跡は、墓地のすぐ下に残っています。
*高田郡向原町は、2004(平成16)年3月1日(高田郡全6町が合併して)安芸高田市向原町になりました。
NHK大河ドラマ毛利元就(1997年放送)をほぼ毎回みていたので、それまで何となく知っていた毛利元就の事をそれなりに知って来たわたしでした。
わが家からいまは安芸高田市になった美土里町に行くのに県道37号線を通っていた時、道沿いに立てられている「尼子三兄弟の墓」と書いた標識に気が付いていましたが、ここまで尼子勢が攻め込んだ?のかなと思っていただけでした。
2011年になって、立ち寄ってみようと運転の女房に云って県道37号から入って行きました。墓地までの道筋はわかりにかったのですが、たどりついた処で、撮影したのです。
14.10.05.裕・記編集

11.05.04.撮影
広島県安芸高田市向原町長田下地

1.05.04.撮影

1.05.04.撮影

1.05.04.撮影

11.05.04.撮影
尼子氏三兄弟之墓(と刻まれていますが) 明治42(1909)年10月建立

11.05.04.撮影

11.05.04.撮影

11.05.04.撮影
墓地少し下から県道37号線の方をみました説明板にある円明寺の屋根かなと思いましたが長円寺のようでした



「広島ゆかりの人たちのお墓」編



広島ぶらり散歩へ
「安芸高田市」編


inserted by FC2 system