由緒:創建は不詳(ですが)。
1903(明治36)年の記録には「古老の伝承として五百年以前(西暦1400年代」と書かれています。他の記録によると天正元(1573)年以前の創建であることは確かですと書かれています。
当社はこの地域の民生安定と農作物の豊穣を祈って建立されてもので、村内の総産神として崇敬されたと云います。
後に、この地の咽声忠左ヱ門は水不足で悩む百姓のために1662(寛文2)年井手溝掘削工事を始め「毎朝一本木(この神社のある地の字名)の鎮守の森に詣でて、ことの成就を祈願し明けても暮れても飢と戦い大地と取り組んだ」とあり神社との関係は深いものがありました。
1695(元禄8)年本殿が再建されて、現在の本殿は1780(安永9)年に再建でその後増築改築修理などを重ねて今日に至っています。
氏子数は1914(大正3)年の記録によると115戸でした。ダム立退前の1974(昭和49)年には136戸でしたが、ダム建設で3戸を残して転出しました。 |
19.04.13.撮影 |
←由緒文は、
由緒板の内容と違うところもあります。広島県神社誌を参照しましたので。 |
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