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安芸高田市向原町坂の丸山公園に建立されている「満蒙開拓青少年義勇軍之碑」です。 |
碑正面: |
満蒙開拓青少年 義勇軍之碑
青春の全てをかけた当時十四、五才の少年達 |
碑側面: |
向原拓友会 平成六年九月建之 平成6年=1994年 |
碑裏面: |
故(人) 有坂正(他8名)
年次順名簿 昭和十三 児玉五省(他1名)
昭和十六 行成勲 (他7名)
昭和十七 追井義昭 (他6名)
昭和十八 黒川次三 (他4名)
昭和十九 船川照幸 (他2名)
昭和二十 新升悟 (他2名) |
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満蒙開拓青少年義勇軍(まんもうかいたくせいしょうねんぎゆうぐん) |
1938(昭和13)年に満州に青少年を移民として送り出し、将来大規模経営の農業者を育成し豊かな農村を築きあげ、日満一体、民族協和の実をあげることを目的に閣議決定で設置が決まり、加藤完治(農本主義者:1884-1967)らにより組織され、1945(昭和20)年まで存続しました。
訓練期間は3年、そのほとんどは満州での訓練であったが、このうち数ヶ月間の基礎訓練が、水戸市の内原訓練所で行われ、卒業者は約8万人で、すべてが15才~19才で全国から選抜されました。 |
※総数101,627人で、広島県は4,827人と云われているようです。 |
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2020年丸山公園に建立されているという“向原町原爆死没者慰霊碑”を訪ねたのです。
頭を垂れ撮影した後周りをみると少し先に石碑が見えました。それがここで取り上げた「満蒙開拓青少年 義勇軍之碑」でした。
広島市内で広島県送出元満州開拓青年義勇隊の碑につながる石碑ということがわかりましたので、撮影しこの頁を編集しました。
広島県は、長野県に次ぐ義勇軍の隊員を満州に送り込んだそうで、この碑の根際に碑文というものが欲しいと思いました。 |
20.09.17.裕・記編集 |