吉田高等学校八千代分校跡碑

  安芸高田市八千代町下根に建立されている「吉田高等学校八千代分校跡・碑」です。
*「(八千代町)戦没者慰霊碑+芳名碑2基」。「(八千代町)原爆慰霊碑」。「吉田高等学校八千代分校跡碑」が建立されていたので撮影したのです(その撮影後)。
振り返ったら、分校跡・碑と同じ光景を見たので、八千代分校は閉鎖後まだ解体されていなかったのです。
-碑文-
この写真は現在地である八千代町下根にあった広島県立吉田高等学校八千代分校です。
八千代分校は、昭和23(1948)年7月に刈田村佐々井の地で簸川分校として開校し、平成16(2004)年八千代町勝田で56年の歴史を閉じました。
この間、簸川分校、根野分校、八千代分校と名称を変更するとともに、刈田村佐々井、根野村下根、八千代町勝田と校舎を移転する等幾多の変遷を経ながら1,200余名の卒業生を送り出しました。
特に、昭和28(1958)年から昭和50(1975)年10月までの26年間は現在地にありました。
このモニュメントは、八千代分校同窓生、歴代の教職員をはじめとする多くの皆様のご芳志と八千代町の協力により設置したものです。
    吉田高等学校
根野分校・八千代分校・校舎跡
    平成16(2004)年3月
広島県立吉田高等学校八千代分校
閉校記念事業実行委員会建立
-高田郡八千代町略沿革-
1889(明治22)年4月1日 町村制施行時
高田郡刈田村(=佐々井村+勝田村+土師村)
高田郡根野村(=向山村+上根村+下根村)
1955(昭和30)年3月31日 刈田村+根野村=高田郡八千代村発足
1960(昭和35)年4月1日 八千代村が町制施行で高田郡八千代町となりました
2004(平成16)年3月い日 高田郡全六町が合併して安芸高田市発足
梅雨入りしている2023年6月10日雨が降らなければどこか行きたいところに連れて行こうと息子が云ってくれたのです。
資料を再度みて、八千代町にも原爆慰霊碑が建立されていることを確かめ、連れて行ってもらったのです。
上記に書いたように、八千代分校の校舎が今も残っていたので撮影したのです。
手前の平屋の折版屋根は錆が目立っていましたが、この校舎跡自体が倉庫に利用されているのかもしれないと思ったのです(が)。わたしにはよくわかりませんので憶測での記述には注意が必要ですが止まっていた4台の車でそう思ったのです。
下段に、残されている「旧高田高等学校八千代分校校舎」を編集しています。
23.06.20.裕・記編集

23.06.10.撮影
東広島市八千代町下原2570 八千代町基幹集落センター

23.06.10.撮影
(八千代町)戦没者慰霊碑+芳名碑2基。(八千代町)原爆慰霊碑。吉田高等学校八千代分校跡碑

23.06.10.撮影
吉田高等学校八千代分校跡碑

23.06.10.撮影

23.06.10.撮影
(跡碑の写真)

23.06.10.撮影
八千代町原爆慰霊碑       吉田高等学校八千代分校跡・碑
(廃校になった)吉田高等学校八千代分校校舎
2004(平成16)年3月31日に閉校した広島県立吉田高等学校八千代分校の校舎が、撮影した2023(令和5)年6月10日現在も残っています。
この頁上段で取り上げた「吉田高等学校八千代分校跡碑」が建立されていたので撮影しました。
振り返ると、記念碑の写真と同じ風景があったのです。
そうです、2004年閉校した校舎は解体されず残っていたので、撮影し編集しました。

23.06.10.撮影
〔閉校時住所:安芸高田市八千代町勝田460-1〕

23.06.10.撮影
旧八千代分校舎

23.06.10.撮影
(校舎裏側にはトラック2台が止まっていました)

23.06.10.撮影
元寮の建物?洗濯物が干してありました



「その他」編
(学校関連記念碑など)


「建物など」編



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八千代町原爆慰霊碑
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「安芸高田市」編


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