三次市のマンホール蓋

  三次市でみた三次市のマンホール蓋を取り上げました。
三次市は、広島県北部の市。古くは弥生時代後期に四隅突出型墳丘墓が三次盆地で発祥しました。
近世初期広島浅野氏の支藩・三次藩の城下町でした。のち宿場町。山陽山陰を結ぶ交通の要地で、三次盆地の中心地。
寛永年間(1624-1643)参勤交代の時、岐阜・長良川の鵜飼を見た三次藩初代浅野長治により鵜匠制度が確立され、鮎を養殖して放流したり、鵜を北海から取り寄せるなど、藩の手厚い保護もあって、現在のような小舟を使い数羽の鵜を操る舟鵜飼が盛んになりました。大正時代に入って納涼遊覧が流行したことから、泊まり客に対し鵜飼を公開したのが観光鵜飼のはしりで、現在に続いています。
三次市歴史民俗資料館から三次社倉を見に行く時にみたマンホール蓋でした。大小蓋を開ける部分が違いましたが、観光鵜飼でも有名な三次市ですので、鵜飼をデザインしたマンホール蓋でした。
2013年JR尾関山駅からJR三次駅にぶらり散歩した時、カラーマンホールや旧三次市市章が鋳込まれたマンホール蓋などを見たので撮影しました。
2019年もののけミュージアムに行きましたので尾関山公園の駐車場からミュージアムの途中みたマンホール蓋を追加しました。
20.02.07.更新     09.03.14裕・記編集

13.10.19.撮影
三次市十日市町でみたカラーマンホール蓋 

08.07.05撮影

19.05.01.撮影
鋳造のままの鵜飼いデザイン (左画像の蓋と同じ)白黒の着色あり

08.07.05撮影

19.05.01.撮影
蓋を開ける孔がないマンホール蓋 (左画像の蓋と同じ)3ヶ所引っ掛け用の欠けあり

19.05.01.撮影
(小型のマンホール蓋)孔が1ヶ所だけ

13.10.19.撮影

13.10.19.撮影
三次市十日市町でみた親子マンホール蓋  三次市十日市町でみた親子マンホール蓋 
旧三次市章は、みよしの「み」、巴峡の「巴」、この郷土に住む「人」の文字 をアレンジし、恒久的な円満を希求して象徴化したもので、三次の共同社会の人の和の姿を表しているそうです。



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