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JR三江線の全35駅に神楽に因んだ愛称を(正式の駅名の他に三江線活性化協議会が)命名したそうで、演目解説付きの神楽駅名板が設置されています。
※全駅撮影ではなくわずかな駅々しか撮影していませんがこの頁を編集しました。 |
-神楽(かぐら)とは- |
神前に奏される歌舞。神楽の語源は、神座(かむくら)の約音とするのが定説とされています。
神座を設けて神々を勧請(かんじょう)して招魂・鎮魂の神事を行ったのが神楽の古い形で、古くは神遊(かみあそび)とも称しました。 |
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伝承されている神楽の名称や形態には諸説がありますが、
(石見)神楽の伝播は、三江線沿いの大元神楽〜阿須那〜安芸高田市へと変遷していく「阿須那ルート」
大元神楽が島根県邑南町矢上地区〜広島県山県郡〜安芸太田町に伝わる「三坂ルート」、島根県金城町波佐地区〜広島県山県郡〜安芸太田町に伝わる「波佐ルート」などがあり、
交通網がまだ発達していない江戸時代末期から明治にかけての事でした。 |
※上記神楽伝播ルートについては、三江線活性化協議会などが発行している「JR三江線途中下車」を参照しました。 |
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土蜘蛛 |
紅葉狩 |
曽我兄弟 |
鍾馗 |
悪狐伝 |
玉藻の前 |
子持山姥 |
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13.10.19.撮影 |
13.10.19.撮影 |
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13.10.19.撮影 |
17.12.15.撮影 |
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三次駅 |
尾関山駅 |
粟屋駅 |
長谷駅 |
船佐駅 |
所木駅 |
信木駅 |
(広島県) |
(広島県) |
(広島県) |
(広島県) |
(広島県) |
(広島県) |
(広島県) |
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滝夜叉姫 |
羅生門 |
胴の口 |
五龍王 |
神降し |
鈴合わせ |
塵倫 |
13.10.19.撮影 |
17.12.15.撮影 |
13.10.19.撮影 |
17.12.15.撮影 |
13.10.19.撮影 |
13.10.19.撮影 |
17.12.15.撮影 |
式敷駅 |
香淀駅 |
作木口駅 |
江平駅 |
口羽駅 |
伊賀和志駅 |
宇都井駅 |
(広島県) |
(広島県) |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
(広島県) |
(島根県) |
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髪掛けの松 |
戻り橋 |
潮払い |
猿丸太夫 |
大蛇 |
神武 |
黒塚 |
17.08.23.撮影 |
17.08.23.撮影 |
17.08.23.撮影 |
17.08.23.撮影 |
17.08.23.撮影 |
17.08.23.撮影 |
17.12.15.撮影 |
石見都賀駅 |
石見松原駅 |
潮駅 |
沢谷駅 |
浜原駅 |
粕淵駅 |
明塚駅 |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
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岩戸 |
帯舞 |
鹿島 |
天神 |
八幡 |
剣舞 |
道返し |
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- |
17.12.15.撮影 |
17.12.15.撮影 |
17.12.15.撮影 |
17.12.15.撮影 |
17.12.15.撮影 |
石見簗瀬駅 |
乙原駅 |
竹駅 |
木路原駅 |
石見川本駅 |
因原駅 |
鹿賀駅 |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
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頼政 |
羯鼓・切目 |
鈴鹿山 |
大江山 |
日本武尊 |
恵比須 |
八十神 |
17.12.15.撮影 |
17.12.15.撮影 |
17.12.15.撮影 |
17.12.15.撮影 |
17.12.15.撮影 |
17.12.15.撮影 |
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石見川越駅 |
田津駅 |
川戸駅 |
川平駅 |
千金駅 |
江津本町駅 |
江津駅 |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
(島根県) |
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2013年鉄道の日記念乗り放題切符で、伊賀和志駅に行き、駅を撮影している時に、正式駅名板の他に神楽演目を駅の愛称として神楽愛称板も設置されていることを知ったのです。
(三次駅への)帰りの列車の中から撮影できたもの(撮影7駅/三江線全35駅ですので僅な数ですが)、三江線ローカルの旅の一つの楽しみになると思いますので取り上げこの頁を編集しました。 |
三江線が2018年4月1日に廃線が決まり、2017年8月浜原駅に建立の三江線全通記念・碑を撮影に行ったのです。乗った列車には夏休み、廃線が決定しているからでしょう立っている乗客がいるほどでした。浜原に近づく4駅前からここで取り上げた神楽愛称駅名板を(列車内から)撮影し、浜原駅、粕淵駅は利用しましたのでその時に撮影ましたので、この頁に加えました。 |
20018年廃線というのに江津まで乗ったことがなかったので、12月になって単に江津まで行って帰ってくるだけの旅に出かけました。
その時車内からできるだけ神楽駅名板を撮影しようとしましたが、全駅撮影とはいきませんでしたので、中途半端な頁のままになりました。 |
(18.01.05.更新) 17.09.12.更新 14.01.19.裕・記編集 |
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「神武(じんむ)」:粕淵駅 |
神武天皇の建国神話の神楽化。
磐余彦命(いわれびこのすめらみこと)は理想郷を求め九州日向がを発ち、東に良き地を求めて進軍します。
船に乗り荒波を渡り、険しき山を越え、様々な困難が行く手を阻みますが、八咫烏(やだがら)の導きにより、大和の国(奈良県)にたどり着きます。そこでは豪族・長髄彦(ながすねひこ)の軍が激しく抵抗しますが、激しい戦いの末討ち破り、畝傍山の麓橿原(かしはら)の地に宮を築いて王位につき、第一代神武天皇となります。
2神・2悪の4人が激しく刃を交える迫力のある神楽です。 |
関連頁:(広島県の)「神武天皇伝承関連碑など」編 |
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17.08.23.撮影 |
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「大蛇(おろち)」:浜原駅 |
日本神話のクライマックス「八岐大蛇(やまたのおろち)」を神楽化したものです。
出雲国斐伊川(ひいかわ)上流に住む足名槌(あしなづち)・手名槌の老夫婦には8人の娘がいましたが、毎年八岐大蛇に襲われ、とうとう稲田姫一人を残すのみとなり、嘆なげき悲しんでいました。
そこへ通りかかった須佐乃男命は事情を聞き、大蛇退治を決意。大蛇に毒酒を呑ませ、酔い伏したところに剣を振りかざしズタズタに退治します。そして稲田姫とめでたく結ばれたのでした。
リアルな動きを表現する「蛇胴(じゃどう)」は竹と和紙で出来ており、全長はなんと18mもあります。入り乱れて(近年は花火を使用し)火を噴く姿は大迫力、まさに石見神楽を代表する演目です。 |
関連頁:伊賀和志神楽団(八岐大蛇) |
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17.08.23.撮影 |
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「猿丸大夫(さるまるだゆう)」:沢谷駅 |
天武天皇(?-686:第40代)に仕える猿丸太夫は、石見の国司として下ってきますが、途中、娘の秋姫を盗賊に奪われてしまいます。秋姫を取り戻すため盗賊と闘いますが、その闘いの中で過って太夫自らの手で秋姫の命を奪ってしまいます。秋姫の無念を晴らすため険しい山中をさまよい歩き、盗賊の岩屋を見つけ、見事盗賊を討ち滅ぼします。
地元の伝説をもとに創作された新作演目です。 |
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17.08.23.撮影 |
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「潮払い(しおはらい)」:潮(うしおえき)駅 |
神楽を奉納するにあたり、舞台である「舞殿」を浄め、神々の降臨を願う舞です。幣(へい)と扇を持って舞う一人舞いで、基本的な舞の型が込められています。二人での連舞の場合も増えてきました。
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17.08.23.撮影 |
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「戻り橋(もどりばし)」:石見松原駅 |
平安時代、京の都において、戻り橋や羅生門に夜な夜な大江山(おおえやま)に住む鬼が出没し、人々を苦しめていました。そんな中、傘売りの善兵衛が商いをしますがなかなか売れず、あきらめたとき、一人の老婆ろうばが傘を求めてきます。快く傘を受け渡しますが、その正体は茨木(いばらき)童子という鬼でした。
危うく襲われかけたとき、源頼光(らいこう)の四天王と呼ばれる家来の一人・渡辺綱という武士が登場、茨木童子に戦いを挑みます。すると茨木童子は親分の酒呑(しゅてん)童子を呼び出し大ピンチに。しかしそこへ坂田金時が加勢に来て、壮絶な戦いを繰り広げます。最後に渡辺綱が茨木童子の左腕を切り落とすと、鬼たちは虚空(こくう)飛天(ひてん)の妖術で住処すみかの大江山に逃げていきます。
※関連の神楽として、羅生門、大江山があります。 |
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17.08.23.撮影 |
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「髪掛けの松(かみかけのまつ)」:石見都賀駅 |
この「髪掛けの松」は、(邑智郡)美郷町・蟠龍峡に伝わる伝説を神楽化したものです。
鎌倉時代末期、石見初代小笠原四郎三河の守・長親は足利の軍勢との合戦で功績があった重臣・玄太夫宗利に恩賞として明日香姫を妻と与えます。しかし、宗利に好意を抱いていた小間使いの水無月は、明日香姫を妬んで毒を盛ったため、明日香姫は醜い姿に。宗利は次第に妻を疎み、水無月に心惹かれていきます。明日香姫は水無月に恨みを晴らすべく、水無月を蟠龍峡へ誘い出し、激しい争いになりますが、差し違えたまま深淵に呑み込まれて果てていきます。そのとき、一本の松に髪が掛かり、残りました。二人を追ってきた宗利は、自らの振る舞いを悔い、自害します。
その時、深淵に果てた明日香姫の怨霊が現れ、宗利を伴って昇天し、他界へと導いて行きます。
長親とその妻・美夜姫はそれぞれの御魂を滝の明神として合祀するという悲恋の物語です。
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17.08.23.撮影 |
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「鈴合わせ(すずあわせ)」:伊賀和志駅 |
この「鈴合わせ」は、鎌倉時代静御前が鶴岡八幡宮で演じた舞を取り入れ構成したと伝えられています。
八種類の舞で構成され、一の舞二の舞を「四花の舞」、三の舞を「静の長唄」、四の舞を「めごし」、五の舞を「かけりしず」、六の舞を「四季の舞」、七の舞を「くみづえの舞」、八の舞を「八花の舞」と称し、これらを集めて一つの舞としていることから「八寄(やよせ)」更に転じて「やよし」と云われています。 |
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広島県無形民俗文化財に1960(昭和35)年3月12日指定されています。 |
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『烏帽子をかむった4人の舞人によるこの舞、「一つの舞」は剣と鈴を持ち優雅に、「二の舞」はそれに跳躍を加えて華やかに舞う。「三の舞」は休止が多く静かに、「四の舞」「五の舞」はあるいは前後に飛び、あるいは円形に歩いて変化があり、「六の舞」は歌と舞が分離し、「七の舞」は採物を杖にして、それを両手に持ち種々の形をつくり、その上を飛んだりくぐったりします。「八の舞」は早い調子の舞であるが、採物は再び剣と鈴になり締めくくりとなります。』と広島県教育委員会の資料で解説しています。
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13.10.19.撮影 |
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「神降し(かみおろし)」:口羽駅 |
神楽奉納の始めに舞われる儀式舞です。
「深山(みやま)の真榊」「百浦(ももうら)の潮」という清浄な物で、神楽殿の四方と中央を清め、神々をお招きするという神聖な演目であり、厳かに大切に舞が受け継がれています。 |
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この神楽愛称駅名は設置されている口羽駅は島根県邑智郡です。 |
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広島県無形民俗文化財にも1954(昭和29)年4月23日指定されています。 |
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『地方によっては塩祓・潮祓・四方祓などとも云われています。
神楽を奉納するにあたり、神楽殿を祓い清め、天神地祇(てんしんちぎ)の降臨を願う舞いです。
舞は二段からなり、第一は祓の舞、第二は降神の舞で、舞子は面をつけず、直垂(ひたたれ)を着て手に幣(へい)と扇子を持って荘重に舞ます。』
と広島県教育委員会の資料で解説しています。
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13.10.19.撮影 |
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関連頁:「邑南町」編 |
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「胴の口(どうのくち)」:作木口駅 |
囃子方(大太鼓、小太鼓、手打鉦、笛)だけで演じられる神楽で、最初は厳かに、中頃は優雅に、後段は華やかに演奏され、全ての神楽囃子が組み込まれています。
かっては奉納神楽において始めに奏された演目でした。 |
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13.10.19.撮影 |
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「滝夜叉姫(たきやしゃひめ)」:式敷駅 |
天慶の乱で討たれた平将門(たいらのまさかど:?-940)の娘・五月姫は父の無念を晴らすため、京都・貴船明神に願掛けし、妖術を授かりました。
その後「滝夜叉姫」と名を変え、夜叉丸・蜘蛛丸と共に「相馬城」を根拠に謀反を企てます。しかし、陰陽師の大宅中将光圀によって妖術は破られ、鬼女となって立ち向かいますが、あえなく討ち破られてしまいます。
美しい姫が一瞬にして鬼に変身する技が冴える神楽人気演目のひとつです。 |
関連頁:(祭神の一神となっている)神田明神 |
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13.10.19.撮影 |
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「悪狐伝(あっこでん)」:船佐駅 |
都を追われ、那須野ヶ原に逃げ込んだ金毛九尾狐は、十念寺の和尚をだまして取り食らうなど悪事を重ねますが、帝の命令を受けた弓の名人、三浦介・上総介によって討ち取られます。
珍斎和尚はアドリブ(≒即興の演技)全開の道化役。九尾の狐も客席になだれ込んで大暴れ。笑いあり怪しさありの楽しい演目です。 |
関連頁:(わが町の秋祭りでみた)悪狐伝 |
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13.10.19.撮影 |
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「曽我兄弟(そがきょうだい)」:粟屋駅 |
だまし討ちにあった父・河津三郎祐泰の遺恨を晴らすため、曽我十郎祐成・五郎時致兄弟は涙ながらに引き留める母を説得し、宿敵・工藤左衛門尉祐経に立ち向かいます。鬼王丸の助太刀を得て、兄弟は見事に父の仇を討ち、本懐を遂げたのでした。
日本人の人情に訴える悲しくもたくましい物語です。 |
関連頁:(宮島)曽我兄弟供養の石燈籠 |
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13.10.19.撮影 |
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「紅葉狩(もみじがり)」:尾関山駅 |
平維茂(これもち)は、信州(現・長野県)戸隠村で鹿狩りをしていましたが、道に迷ってしまいます。その様子をうかがう戸隠山の鬼女・白蜘蛛・赤蜘蛛は、良き獲物の到来を鬼女大王に知らせます。鬼女達は紅葉狩りに興じる美女に化け、維茂を酒宴に誘い込みます。
色香に惑わされた維茂は、どっぷりと酔い眠ってしまいますが、夢に八幡大菩薩が現れて美女の正体が鬼女であることを告げ、神剣を授けます。目を覚ました維茂は、すぐさま鬼女達に立ち向かい、見事に退治するのでした。
三人の妖艶な姫の登場には思わず息を呑みます。 |
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13.10.19.撮影 |
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