中村憲吉記念文芸館(中村憲吉生家)
  三次市布野町上布野に建てられている“中村憲吉生家”が「中村憲吉記念文芸館」となっています。
中村憲吉記念文芸館        平成24(2012)年2月吉日  三次市教育委員会
  中村憲吉は、1889(明治22)年1月25日、広島県双三郡布野村(現・三次市布野町)に生れました。1906(明治39)年三次中学校を卒業し、鹿児島第七高等学校に進み東京帝国大学を卒業しました。
齋藤茂吉(1882-1953)、島木赤彦(1876-1926)、土屋文明(1890-1990)、平福百穂(ひゃくすい:1877-1933)、古泉千樫(ちかし:1886-1927)らとともに伊藤左千夫(1864-1913)に師事しアララギ派の歌人として万葉的短歌の発展に寄与しました。1934(昭和9)年5月5日尾道市にて死去、46歳でした。作品は、「馬鈴薯の花」(1913年島木赤彦と合著)、「林泉(りんせん)集」(1916年)、「しがらみ」(1924年)、「松の芽」(1925年)、「軽雷(けいらい)集」(1931年)の歌集に収録され生涯に三千首を超える短歌を残しています。
中村憲吉記念文芸館は、この地で歌人中村憲吉が誕生した事を誇りにし「短歌の里」として、国内外に憲吉の思いを伝え続けていくことを目的に整備したものです。
図書館には、ゆかりのある書籍や歌友の書籍を展示しています。生家では愛用された品々や書斎の他、土屋文明、平福百穂が度々訪れて語り合った客殿も当時のままで公開しています。
大学卒業、結婚、そして短い東京在住を経て、1916(大正5)年故郷・布野村に帰住・家業の酒造業に従いました。1920(大正9)年西宮に移住、1921(大正10)年から5年間大阪毎日新聞の経済部記者として勤務。1926(大正15)年家務で再び帰住、病を得て1934(昭和9)年尾道の仮寓で没しました。
中村憲吉記念文芸館(なかむらけんきち きねんぶんげいかん)は今(2012)年2月25日(土)10時に落成式を催したそうです。隣に布野図書館が移転新築され、あわせて詩歌など文学の学習拠点とするために整備されたそうです。
説明板には、小泉千樫と記述していますが、間違っているので(わたしのこの頁では)「古泉千樫」としました。三次市の方より6月12日訂正が完了したと連絡を頂きました。
新聞報道で、この「中村憲吉記念文芸館」が今(2012)年2月開館した事を(わたしは)知ったのです。
わたしは、中村憲吉の歌碑を三次で、尾道で、また尾道で(中村憲吉終焉の家をみていましたので、ここ三次市布野町に開館したという「中村憲吉記念文芸館」に行ってみたいと交流ウォークの時増田先生に話したのです。増田先生は生家には行ったことがあると云われ、文芸館に整備されたのであれば行ってみようと云って下さり、ご一緒させていただき見学できました。
12.06.22裕・記編集

12.05.29.撮影
広島県三次市布野町上布野1196-1

12.05.29.撮影
中村家表門     (現在の文芸館には図書館側から入ります)

12.05.29.撮影
玄関 と 齋藤茂吉・土屋文明歌碑

12.05.29.撮影

12.05.29.撮影
ニ階客殿縁側から庭をみました

12.05.29.撮影
布野図書館駐車場から文芸館をみました



「資料館など」編


「中村憲吉関連」編



広島ぶらり散歩へ
中村憲吉記念文芸館
  (文芸館)内部
  (文芸館)中村憲吉歌碑
  (文芸館)齋藤茂吉・土屋文明歌碑
  (文芸館展示憲吉の)五日市仮寓


「三次市」編


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