(中村憲吉記念文芸館)齋藤茂吉、土屋文明 歌碑
  三次市布野町上布野の中村憲吉記念文芸館に建立されている「歌碑」です。
※中村憲吉記念文芸館(中村憲吉の生家)の玄関前に建立されている歌碑です。
※石碑4面の内の2面に、齋藤茂吉、土屋文明の歌版が嵌めこまれています。
  両歌ともここ中村家で詠んだ歌だそうです。
さいとうもきち
斎藤茂吉
1882-1953
歌人、精神科医。山形県、守谷家三男として生まれる。東京帝国大学卒業。
伊藤左千夫(1864-1913)に師事、歌誌「アララギ」同人。歌集「赤光(しゃっこう)」により、アララギ派の代表的歌人となる。実相観入による写生説を唱えた。1951(昭和26)年文化勲章受章。歌集「赤光」「あらたま」「ともしび」「白き山」、評論「柿本人麿」、歌論集「童馬漫語」など。
つちやぶんめい
土屋文明
1890-1990
歌人、国文学者。群馬県の農家に生まれ。東京帝国大学卒業。
伊藤左千夫に師事。処女歌集「ふゆくさ」で認められ、「アララギ」の中心歌人として活躍。1986(昭和61)年文化勲章受章。歌集「山下水」「自流泉」、研究書「万葉集私注」など。
中村憲吉の生家(現在中村憲吉記念文芸館になっています)へは表門から入れませんので、図書館側から入ることになるのです。(わたしは)すぐに文芸館建物に入らず、玄関、庭から拝見しようと前に回った時に最初にみたのがこの石柱で、歌碑だなと思い近づきました。齋藤茂吉、土屋文明がこの家で詠んだ歌と云うことが説明文でわかりました。
12.06.26裕・記編集

12.05.29.撮影
広島県三次市布野町上布野1196-1  中村憲吉記念文芸館

12.05.29.撮影

12.05.29.撮影









































  憲吉の長女の婚礼の日、中村家に招かれた齋藤茂吉は客殿の二階に宿泊しました。
その夜遅くまで文明と語ったであろう、深く余韻の残る歌となっています。

12.05.29.撮影












































  憲吉亡き後も歌集の編集などで何度も中村家を訪れた土屋文明です。
昭和22(1947)年の夏、客殿から雨降る庭を臨み、憲吉追慕を詠んだものでしょう。



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