(三次高校建立)中村憲吉歌碑
  三次市南畑敷町の三次高校に建立されている「中村憲吉歌碑」です。
































山河(やまかは)
此處=此処(ここ)
二十年(はたとき)
中村憲吉(1889-1934)の歌碑は、母校県立三次中学(現在の三次高校)の正門の正面に建立されています。
歌は、第四歌集「軽雷(けいらい)集」の中に収められている1925(大正14)年の作品。
旧三中四期生アララギ派歌人中村憲吉君を追憶し之を建つ 書は井上三喜夫校長
   昭和28(1953)年11月3日 
            同窓会長大井静雄  
* 中村憲吉(1889-1934)は、1901(明治34)年(旧制)三次中学校に入学しました。校友会雑誌「しら帆」を作り、文章や俳句を載せたそうです。このころ憲吉は「香川霧村」という筆名を使っており、一時遠縁の香川家に移籍していたことで姓を、名は故郷(当時)布野村や三次地方の霧深い土地柄から名乗ったのであろうと云われています。
三年後輩の倉田百三(1891-1943)も「しら帆」に参加したそうです。
昨(2012)年旧布野村(現・三次市布野町)で中村憲吉の生家、お墓、町内建立の歌碑を訪ねましたが、その時母校である現在の三次高校に憲吉の歌碑が建立されている事を知ったのですが、時間的に行くことはできませんでしたので、訪ねてみたいと思っていたのです。
今(2013)年4月交流ウォーク増田先生が行ってみようと云って下さり(車に同乗させていただき)、中村憲吉(1889-1934)が通ったという旧制三次中学校、現在の三次高等学校を訪ねることができました。
13.04.28.裕・記編集

13.04.26.撮影
広島県三次市南畑敷町155   三次高校

13.04.26.撮影

13.04.26.撮影

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13.04.26.撮影

13.04.26.撮影

13.04.26.撮影



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