(三次高校建立)倉田百三文学碑
  三次市南畑敷町の三次高校に建立されている「倉田百三文学碑」です。
  青春は短い 宝石の如くにして それを惜しめ
             愛と認識との出発
                 昭和30(1955)年11月3日  三高同窓会
『・・・・ 青春は短い。宝石のごとくにしてそれを惜しめ。俗卑と凡雑と低吝とのいやしくもこれに入り込むことを拒み、その想いを偉(おお)いならしめ、その夢を清からしめよ。夢見ることをやめたとき、その青春は終わるのである。
※吝(リン)1ヤブサか(イ)しわい。けち(ロ)物事を行うのにしぶるさま。2くやむ3惜しむ
     *愛と認識との出発
感想論文集といわれています。1921(大正10)年岩波書店刊。
旧制第一高等学校「校友会雑誌」に発表したものから29歳に至るまでの思索的エッセイ17編を収録。
肉と煩悩にさいなまれる自己の心情に密着しつつ、善、真理、友情、恋愛、性欲、信仰といった、青春の日に一度は直面する人生上の問題を、誠実に受け止め、探求した求道の書として、当時の多くの青年に読み継がれたそうです。
倉田百三 (くらたひゃくぞう:1891-1943)
劇作家・評論家。広島県庄原市出身。県立三次中学校卒。第一高等学校中退。
西田幾多郎(1870-1945)に傾倒し、京都の「一灯園」に入って思索的生活を体験。評論集「愛と認識との出発」、戯曲「出家とその弟子」「俊寛」「布施太子の入山」など。
今(2013)年4月交流ウォーク増田先生の車に同乗させていただき、中村憲吉(1889-1934)が通ったという旧制三次中学校、現在の三次高等学校を訪ねることができました。
憲吉の歌碑は事前に調べていましたので、校門入って正面に歌碑が建立されていることはわかりました。
そして、右手をみた時、大きな石碑が目に入りました。これがここで取り上げた倉田百三文学碑でした。
憲吉の三年後輩と聞く百三がここ旧制三次中学に通っていたことは憲吉を調べた時に知っていましたので、百三の文学碑も建立されているのだなと(わたしは)思いました。
13.04.29.裕・記編集

13.04.26.撮影
広島県三次市南畑敷町155   三次高校

13.04.26.撮影

13.04.26.撮影

13.04.26.撮影



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