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三次市小田幸町の“みよし風土記の丘”に復原されている「宗祐池西遺跡」です。 |
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この箱形石棺は、三次市南畑敷町の宗祐池西(むねすけいけにし)遺跡で見つかった第2号石室を移築・復原したものです。
箱形石棺は、四方を板石ではなく小型の石を積みあげて作られており、その構造が竪穴式石室によく似ているのが特徴です。
埋設方法は、死者を石棺内に直接埋葬したものと考えられ、小型のものは子ども用の石棺と考えられています。
これらの石棺は、周辺から見つかった須恵器などから6世紀〜7世紀前半ごろに造られたものと考えられています。 |
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せっかん
石棺 |
石製の棺(=死者を葬るときに遺体を納める容器。ひつぎ)。
日本では弥生時代に箱式のもの、古墳時代には箱式のほか、割り竹形・舟形・長持ち形・家形のものがある。 |
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「広島県立みよし風土記の丘」と「広島県立歴史民俗資料館」は、一体的に活用いただく施設として1979(昭和54)年にオープンしました。
「みよし風土記の丘」は、約30ヘクタールの自然に恵まれた広さがあり、この丘の中には、国史跡「浄楽寺・七ッ塚古墳群」や国重要文化財「旧真野家住宅」をはじめ、復原古代住居、復原石室・石棺や自然野草園、野鳥の森などが整備されています。 |
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広島県立歴史民俗資料館を見学した後、七ッ塚古墳群に向かおうとした時にみた石室でした。
みよし風土記の丘の古墳群を見学する前の予備学習とも云えるものでしょう。他の場所で発掘された石室が移築・復原されたもので、まず、横穴式石室を見学しました、次に竪穴式石室でしたので横穴式・竪穴式石室を(わたしは)少しばかり勉強しました。そしてここで取り上げた箱形石棺でした。 |
13.05.11.裕・記編集 |