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三次市小田幸町の“みよし風土記の丘”に復元されている「竪穴住居」です。 |
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古墳時代の代表的な3つの建物を復元したものです。
竪穴住居は、三次市松ケ迫遺跡群の住居跡を参考に住居で、地面を掘りくぼめて床をつくり、その中央に炉を設けています。この住居では、4〜5人の家族が生活していたと推定されます。
高床倉庫は、おもに穀物などの収穫物を納めていた蔵です。建物の構造や木組みなどに、湿気やネズミなどの侵入を防ぐための工夫が見られます。また。この建物を大型にして、集落の有力者の館や神殿と考えられる高床建物が各地で見つかっています。 |
平地住居は、平らな地面に柱を立てて、板壁や草壁で囲い、屋根をかけています。大型のものは、集落の有力者の館として建てられていますが、古墳時代の終わりごろからは、一般の住居としても作られるようになります。 |
古墳から見つかる家形埴輪には、これらの建物をかなり写実的に表現した者があります。
古墳時代の集落は、有力者のた方を中心に高床倉庫やいくつもの竪穴住居が集まって、「古代村」を形づくっていました。 |
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(たてあな じゅうきょ)
竪穴住居: |
地面を数十センチ掘り下げた面を床とする半地下構造の家。
日本では縄文時代・弥生時代に盛んで、古墳時代以降しだいに消滅した。アジア・アメリカの寒冷地帯では最近まで使用。竪穴式住居。 |
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みよし風土記の丘で、七ッ塚古墳群をみて、少し離れた浄楽寺古墳群の端の方だけみて管理道を帰っている時にみた、古墳時代の復元建物でした。
そこにはここで紹介した竪穴式住居、高床倉庫、平地住居の三棟が建っていました。 |
竪穴式住居は、2003年に隣町・海田町観音免公園で復元・竪穴住居をみていましたがこうだったろうかな〜と思いながら見学しました。頁を編集しながら、出入口部分を撮影していなかったかな〜と思いましたが、画像がなかったので撮影していないようでした。中途半端な画像構成頁になりましたがお許し願っておきます。 |
13.05.20.裕・記編集 |