観光鵜飼屋形船「みよし丸」
  三次市小田幸町のみよし風土記の丘駐車場に展示されている観光鵜飼屋形船「みよし丸」です。
三次の鵜飼は、400年以上*の歴史があり、三次の特徴ある風物詩として親しまれてきました。
鵜飼は、古くは生活のための漁として行われてきましたが、大正時代頃から、社会の変化に伴い観光が盛んになると、次第に観光資源としての色彩が強くなっていき、1949(昭和24)年に鵜飼漁が禁止されてからは、観光鵜飼としてその伝統が引き継がれました。
この「みよし丸」は、1994(平成6)年から17年間にわたり鵜飼遊覧船として活躍した屋形船で、三次市無形文化財「三次の川舟」の技術保持者だった、故・光森賢治さんが造られました。
   「みよし丸」 全長:12.2m、幅:2.7m、高さ2.8m
* 戦国時代に始まったとされ、江戸初期、三次藩主の浅野長治(ながはる:1614-1675;在任1632-1675)が鵜匠制度を確立したそうです。
(うかい)
鵜飼い:
鵜を飼いならして鮎(あゆ)などをとらせること。また、その鵜を使うのを職業とする人。
鵜匠(うじょう)。岐阜県長良川が有名。山口県岩国錦帯橋附近の鵜飼も有名です。
季語: 夏。  「老なりし鵜飼ことしは見えぬかな」与謝蕪村(1716-1783)
みよし風土記の丘の駐車場に展示してあった観光鵜飼屋形船でした。
三次の鵜飼は毎年TVニュースなどで取り上げられますが、わたしは(実際の)鵜飼は観た事がありません。しかし、テレビで見る遊覧船はもっと簡素だったように思いましたので、撮影しました。
説明書を読むと屋形船として川船作製の匠であった光森賢治さんが造られた事がわかりました。川船の匠を受け継ぐ人がなくなって行くのでしょうね。
13.05.31.裕・記編集

13.04.26.撮影
広島県三次市小田幸町122 みよし風土記の丘駐車場

13.04.26.撮影

13.04.26.撮影

13.04.26.撮影
大正時代の三次鵜飼遊覧屋形船 (説明板の写真を使用しています)



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(駐車場展示)観光鵜飼屋形船「みよし丸」


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