(寿正山)妙栄寺
  三次市三次町に送検されている「寿正山・妙栄寺」です。
妙栄寺は、日蓮宗のお寺で、寿正院様(三次初代藩主・浅野因幡守長治公の御母)が施主となられ、慶安元(1648)年風源院様(1614-1675:浅野因幡守長治公)によって建立されたもので、360余年間法燈が継がれて今日に至っています。
この間、元禄13(1700)年7月、文政2(1819)年4月と再度にわたって火災のために焼失しましたが、その都度広島本藩の保護を得て藩主浅野吉長(1681-1752) 公、浅野斉賢(なりかた:1773-1831)公及び芸備両国守浅野斉粛(なりたか:1817-1868)公、浅野慶熾(よしてる:1836-1858)公などによって再建され、建立以来浅野家と深い縁由に結ばれていたのであります。
JR西日本乗り放題切符で三江線の尾関山駅でおり駅を撮影することが主目的ではあったのですが、次の列車までの待ち時間があり過ぎましたので、駅近くでの見どころはと思って地図をみて計画することにしました。
少し離れていましたがこの妙栄寺がありましたが、縁起がわかれば撮影しようと思っていたのです。お寺が平成24年4月設置の説明板(上記)がありましたので、撮影しこの頁を編集しました。
14.01.04.裕・記編集

13.10.19.撮影
広島県三次市三次町1067-1

13.10.19.撮影

13.10.19.撮影

13.10.19.撮影

13.10.19.撮影
立正安國 日蓮聖人像 宗祖 第七百遠忌報恩
立正安国論(りっしょうあんこくろん)
日蓮(1222-1282)が1260(文応元)年に著した、一巻。漢文の問答体。
1260年に成り、執権北条時頼(1227-1263)に上呈。法華経こそ唯一の正法であり、それを立てることによってのみ国家社会の安穏は得られるとし、特に浄土宗を鋭く攻撃した。安国論。
安国論の内容はたちまち内外に伝わり、その内容に激昂した浄土宗の宗徒による日蓮襲撃事件(松葉ヶ谷法難)を招いた上に、禅宗を信じていた時頼からも「政治批判」と見なされて、翌(1261)年には日蓮が伊豆国に流罪となった。



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