(三次もののけミュージアム)8620型蒸気機関車
  三次市三次町の三次市文化会館に展示されている8620型蒸気機関車」です。
※ここ文化会館は、2014(平成26)年12月で(建替えのため)閉館になりました。(表題を変更しました)
※2019年4月26日三次もののけミュージアム開館したのでミュージアム前の展示になっています。
2019年5月1日三次もののけミュージアム見学に行ったとき、元の位置でこの蒸気機関車見学できました。
50年近い長い年月、働いてきた機関車です。大切にしましょう 昭和47(1972)年3月21日三次市教育委員会
48650機関車の車体番号の見かた
この機関車は、8620型といい通称86(ハチロク)と呼ばれています。CとかDとかアルファベットを付ける以前の型式です。
機関車は造った順に番号をつけています。この型の機関車第一号番号は8621です。80台造るごとに万の位を増やして番号を付けました。
48650の番号は、万の位が4ですから4×80=320、末2桁が50ですか8650-8620=30台合わせて350となり展示してある機関車は350番目に造られた事になります。
機関車について
大正11(1922)年11月11日大阪汽車会社で造られました。当時としては動輪の直径が1,600mmと比較的大きく引っ張る力も強く、高速度(95km/H)走行が出来てしかも炭水車も備えて長距離を無停車で走ることが出来る花形機関車として親しまれました。
製造以来日本各地を転々として昭和40(1965)年3月16日に山口県小郡機関区から三次機関区に配属されました。以来、昭和46(1971)年3月退役するまで、芸備線福塩線の旅客や貨物を牽引し県北のために働きました。
製造以来、ここ三次文化会館に据え付けられるまでの49年余りの間に走った距離は2,518,953.4kmにおよび地球を約63周したことになります。
どうやって運んだか?
近くの三江線尾関山駅までは別の機関車に牽引してきました。
尾関山駅で機関車部と炭水車部に分けられ、それぞれレッカー車によってトレーラーに積み、ここに運びました。
何しろこんなに大きく、長く、そして重いものですから、車の通行の関係で夜の作業となりました。
昭和47(1972)年3月17日午後10時から翌18日早朝までかかりました。
JR尾関山駅で下車し、太歳神社に参拝しようとぶらり散歩していた時に道路沿いのこの機関車を展示している下屋をみたので近づき撮影したのです。
(上記の)説明板が設置されていたので、この機関車が“デゴイチ”よりも古い形式の「ハチロク」と呼ばれていたことを知りました。そして車体番号48650から製造番目を計算する方法も親切に記述してありました。
2019年4月26日新しく開館した三次もののけミュージアムを見学に行ったとき、以前のようにこの蒸気機関車も見学できました。
三次もののけミュージアムに合わせて、錆が目立つ上屋鉄骨が塗り替えられることもなかったようでしたが、背景が変わりましたので撮影しました。
19.05.06.更新    14.01.05.裕・記編集

13.10.19.撮影
広島県三次市三次町1691-4    三次市文化会館前

13.10.19.撮影

13.10.19.撮影

13.10.19.撮影

13.10.19.撮影

13.10.19.撮影

13.10.19.撮影

19.05.01.撮影
広島県三次市三次町1691-4    三次もののけミュージアム前

19.05.01.撮影

19.05.01.撮影

19.05.01.撮影



「乗り物」編



広島ぶらり散歩へ
 (三次市文化会館解体後もののけミュージアム)
8620型蒸気機関車
作者不明:裸婦像


「三次市」編


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