(旧双三郡)吉舎町のマンホール蓋
  三次市吉舎町でみた双三郡吉舎町時代のマンホール蓋を取り上げました。。  
双三郡旧吉舎町町章は、
「キ」を大樹に見立てて図案化したものだそうです。
                   1957(昭和32)年1月制定。
町の木:マツ。 町の花:ウメ。
鎌倉時代に後鳥羽上皇(1180-1239/82代天皇在位:1183-1198)が隠岐に流される途中に、この地を通りかかった際に云われた「吉(よ)き舎(やど)りかな」との言葉が町名の由来でその言葉を鋳込んでいます。
1889(明治22)年4月1日市町村制施行時吉舎町域には、
   三谿郡吉舎村(=吉舎村+敷地村+矢井村+矢野地村+三玉村+安田村=海田原村が合併)
   三谿(みたに)郡八幡村(=丸田村+檜山村+吉舎川之内村+辻村+雲通村+清網村が合併)
   甲奴(こうぬ)郡上川村がありました。
1898(明治31)年10月1日三谿郡+三次郡=双三郡に伴い、吉舎村、八幡両村は双三郡の村となりました。
1917(大正6)年10月1日吉舎村が町制施行して吉舎町になりました。
1953(昭和28)年2月11日吉舎町+八幡村=(新しい)吉舎町となりました。
1955(昭和30)年3月31日甲奴郡上川村の一部(知和地区の全域と太郎丸・安田両地区の各一部)を編入。
2004(平成16)年4月1日三次市と甲奴郡甲奴町+双三郡の全町村*が合併し(新しい)三次市となりました。

                  *双三郡吉舎町・三良坂町・三和町・君田村・布野村・作木村
今(2017年)回、資料で知っていた吉舎町原爆慰霊碑を訪ね頭を垂れることを主目的に、現在の三次市吉舎町を訪ねたのです。その時みたマンホール蓋で、三次市になる前の町制時代のマンホール蓋です。
 17.12.09.裕・記編集

17.11.19.撮影
広島県三次市吉舎町でみたマンホール蓋



 「マンホール蓋」編



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「三次市」編

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