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世羅郡世羅町大字甲山の今高野山(龍華寺)の「今高野山総門」です。
*今回、龍華寺には行っていませんので、この総門の頁だけしか編集していません。 |
今高野山総門(広島県重要文化財)
一棟 1959(昭和34)年10月30日指定 室町時代 |
四脚門、切妻造、桟瓦葺で室町時代の建築です。今高野山一山を総括する「総門」で、今は仁王像を安置して仁王門とも呼ばれています。
屋根や像の柵囲い等は後世の改修ですが、他の部分は建立当初の姿をとどめています。1556(弘治2)年の造営にかかわる寄進文書に「仁王門」の文字があり、この頃仁王門が存在していたことを物語っています。
建物内に安置されている「木造仁王像立像」二体(町重文:江戸初期)は寄木造・玉眼で、供えられている草鞋や草履は、この仁王にあやかって、健康や健脚での旅の安全を願ってのものです。 |
世羅町・世羅町教育委員会 |
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広島県教育委員会の資料には上記(のような内容)以外に
『今高野山は、大田庄が紀州高野山の荘園となった文治2(1186)年以降に創建されたと考えられています。
大田庄は高野山の大きな財源であったため、その勢力の拡充を目指し、大伽藍を建て高野山の守護神である丹生、高野両明神をも勧請して新しい高野山という意味で今高野山と命名したといわれています。』と紹介しています。 |
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2016年5月4日あんなにごった返していた道の駅世羅だったのに、(ここ今高野山総門の少し上の)大田庄歴史館をわが家族だけで見学した時、館長に「今高野山龍華寺に行かれましたか?」と聞かれたので、行っていません、3時を回ろうとしているからこれから世羅ワイナリーに行き帰宅予定ですと話と、帰りにここからすぐの今高野山総門は見学されたらと教えていただきました。
歴史館の見学を終え総門を見に行き撮影しましたのでこの頁を編集しました。。 |
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大田庄歴史館館長にお話しを伺っていなかったら立ち寄ることもなかったこの総門をみたのです。今高野山龍華寺を参拝したわけではありませんが、この頁(だけ)を編集したのです。 |
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16.05.15.裕・記編集 |