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安芸郡府中町宮の町の出張城跡からみた府中町、広島市市街地をこの頁で取り上げました。 |
(府中)出張城は、標高34.5mの小高い丘にありました。
室町時代中ごろ応永年間(1394-1428)に安芸守護武田氏に従って下総国(現・千葉県)から西下してきた白井加賀守胤時が初代城主となった城跡で、以後170年間に渡って府中を中心に領内を治めたと伝えられています。
安芸武田氏の勢力が衰え、周防国の大内氏に従属するようになり、(地理的な関係から)水軍を重視し、仁保島城を中心に、その海域を通過する商船から通行料を徴収していたと考えられています。天文24(1555)年厳島の戦いでは、陶氏方に属して毛利元就(1497-1571)に抵抗しましたが敗戦、のち毛利氏に帰順して小早川隆景(毛利元就の三男:1533-1597)の傘下に入ったと伝えられています。
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以前府中町をぶらり散歩した時も下からはみてはいましたが、撮影していませんでしたので、(低い丘ですので)行ってみようと持ったのです。(府中)薬師堂をお参りし、手押しポンプが残っていた家の方に聞くと、今は昔に繋がるものは残っていませんがと云われましたが、上がってみたのです。
頂上まで上る道がないようでしたので、その下に位置する平らな処から府中町そして遠く広島市南区がみえ、支城といわれる仁保(島)城があったという黄金山がみえました。右に転じれば少しばかり東区の街が見えましたので撮影しました。 |
12.04.06裕・記編集 |