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安芸郡府中町宮の町の「教徳寺の)梵鐘」を取り上げました。 |
「大正十四年三月上旬 京都七條 若林卯兵衛鋳造」と鋳込まれた釣鐘をみました。 |
大正14年=1925年 |
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京都市下京区七条通新町東入に(株)若林佛具製作所があります。 |
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1830(天保元)年初代若林卯兵衛が京都に「野村屋 若林卯兵衛商店」を開きました。
1920(大正9)年浄土真宗大谷派旭川別院の内陣・荘厳具一式納入。勧業博覧会で仏壇、金賞を受け以後3年金賞入賞などの実績で、ここ(当時)広島県府中村の教徳寺に梵鐘を鋳造することになったのではと(わたしは)考えましたが。 |
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2006(平成18)年に4代目・若林卯兵衛を襲名されたそうです(祖父の3代目は、寅吉から卯兵衛になったが、父は襲名せずに他界し少し期間の空白が有ったそうです)。ので、ここ教徳寺の梵鐘は、三代目若林卯兵衛が造った事がわかりました。 |
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資料は、(株)若林佛具製作所の公開資料を参照しました |
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ここ教徳寺の鐘楼の梵鐘も戦後再興されたものかなと思ったのですが、近づいてみたのです。
多くのお寺の梵鐘は、第二次世界大戦時に金属供出で、武器などに転用されたいという歴史があると聞いていますので、この梵鐘の鋳込まれた大正十四年という文字に目がいきました。
よほどのことがなければ残されていないはずと思いながら撮影し、帰宅後、NETで京都、若林卯兵衛で検索して、少しばかりわかった事を編集しました。 |
12.04.12裕・記編集 |