ふちゅうおおはし
府中大橋
  広島市東区矢賀新町・安芸郡府中町大須と府中町(大通・茂陰)を結び府中大側に架かる「府中大橋」です。
府中大橋は、橋脚が2基ある3径間で、橋長は52.5m、両側に歩道がある幅員18.5mの橋と聞いています。
広島市と(安芸郡)府中町の境に流れる府中大川に架かる橋と(わたしは)思っていましたが、大きくとらえれば広島市と府中町を結ぶ橋なのですが、府中大橋西詰(広島側)の北側は府中町大須1丁目だったのです。
この辺りは江戸時代は広島藩の領地ではありましたが、現代では単独町制を選択している府中町と広島市の行政境が複雑だったことを、この頁を編集する時に地図をみて(わたしは)知ったのです。
現在の府中大橋の上流側に1965(昭和40)年架橋と聞く府中土橋がありましたが、現在の府中大橋が竣工して、旧土橋は廃橋になったそうです。
府中町教育委員会の資料によると
この府中大橋は、(現在でも)一般に“土橋”と呼ばれているそうですが、『コンクリート造の橋を土橋と呼ぶのは現在の府中大橋の歴史を物語るものなです』と云っています。
1926(大正15)年までは府中大川、経免川、榎川、八幡川の四つの川の下流が各々の堤防で海に入るまで並行していており、その各々に土橋が架かっていました。
それが現在のように4つの川の合流点に府中大橋が架橋しましたが、以前に土橋と呼ばれていらことからその呼び名が残ったと解説していました。
安芸区のわが家から女房運転の車でお袋が住む東区牛田に行く時に必ず渡ったこの府中大橋でしたが、撮影することもありませんでした。
広島ぶらり散歩「府中町」編を編集するようになって歩いて渡るようになりました。「府中町」編のなかで府中町の橋を取り上げようと思い撮影していました。
府中大橋(西詰南側は広島市ですが)西詰北側は府中町であった事をこの頁を編集している時に地図で知りましたが、考えてみればこの県道84号線の北側に位置していた麒麟麦酒府中工場(現在のイオンモール広島府中ソレイユ)は府中町だったのですから、熟考していなかったな〜と思ったわたしでした。
12.02.14.裕・記編集

12.03.31.撮影
広島市東区矢賀新町・広島県安芸郡府中町大洲1と府中町(大通2・大通1・茂陰1)を繋ぐ府中大橋を≒南西からみました

12.03.03.撮影
(この府中大橋の)向こう側の高架は山陽新幹線の高架です

12.03.31.撮影

12.03.31.撮影

12.03.31.撮影



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「(安芸郡)府中町」編


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