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安芸郡府中町宮の町1と府中町本町2を結び榎川に架かる「埃宮橋」です。 |
埃宮橋は、多家神社(埃宮)のすぐ前西側にあるのでその名が付いたのでしょう。
架橋年:1928(昭和3)年※。橋長:10.5m、幅員5mの鉄筋コンクリート橋。
車道と歩道を別動線にするため上流側に後年?歩道橋が架けられています。 |
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(財)広島市未来都市創造財団文化科学部文化財課の資料では昭和3(1928)年架橋とあります。 |
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初代天皇・神武天皇に繋がる古い伝承がある多家神社(埃宮)ですが、この地に埃宮(多家神社)が創建されたのは1873(明治6)年ですので、少なくともここ(近く)に架橋の橋の名称が“埃宮橋”と呼ばれるようになったのはその後なのではと(わたしは)思いました。 |
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この榎川を最初みた時、水量も少ない川だなとみましたが、この橋のすぐ先“えの宮公園”に建立されている「府中村水害記念碑」で大正15(1926)年9月に大水害があったことを知りましたので、災害に対する心構えに油断は許されないと思っています。
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2018年7月6日に西日本豪雨では、
水分峡上流の土砂崩壊により大量の土砂、流木が榎川に流入し、(ここで取り上げている埃宮橋の上流側に位置する)寺山橋〔本町3丁目〕で堆積して川をせき止め、土砂などが本町地区・山田地区にあふれ出ました。
榎川河川内の流木、土砂の撤去作業は困難を極め。7月10日夜に住宅地への流入の解消、13日には河川からの越流が解消したため、「避難勧告」が解除されるという、全国区でのニュースでも取り上げられた事態が発生しています。 2019.03.21.追記 |
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いままでに(多家神社に初詣などでも)何度か渡った橋でしたが気にすることもない短い古い橋でした。
2012年交流ウォーク下見の時、親柱をみたのです、「埃宮橋」と彫り込まれていました。下見の時でしたので、じっくり見ることもできませんでしたので、後日行って、撮影してこの頁を編集することにしました。 |
府中町の橋を(少しですが)取り上げて編集してみようと思ったのは、この埃宮橋をみた時だったのです。 |
13.02.19.裕・記編集 |