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広島市東区矢賀新町の広電・矢賀新町バス停すぐの処に建立されている「矢賀一里塚跡」碑です。 |
広島市企画総務局都心活性化推進課発行の「西国街道めぐり」というパンフレットをわが区民センターでもらってきて見ていると、ここで取り上げた「矢賀一里塚」があったという事を知ったのです。
しかし、広島城下から東へ一里の矢賀(やが)、西に一里行った高須(たかす)には一里塚跡碑のようなものはなかったのです。2012(平成24)年10月矢賀一里塚跡碑が建立されました。 |
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(ここは)広島城下から東への最初の一里塚です。
街道の左右に塚があり、その上には塚松が聳えていました。
矢賀では、府中土橋から岩鼻までを大須往還といい、長さは八丁(約873m)で「大須八丁」とも称されていました。
平成26(2014)年10月吉日 矢賀学区社会福祉協議会 |
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*藝藩通志の巖鼻圖(いわはなず:岩鼻図)に矢賀一里塚も描かれています |
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中國新聞2012年10月に
『広島市東区の矢賀学区社会福祉協議会が、江戸時代に西国街道の広島城下から1里に位置した地域の歴史を伝えようと、矢賀新町3丁目に石碑を建て、10月8日除幕した。
県道そばの私有地に立つ石碑は、25cm四方、高さ約1.5mの御影石製。 「 西国街道 矢賀一里塚跡 」と刻んだ・・・』と報道していました。 |
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一里塚(いちりづか) |
街道で一里(約4m)ごとに道の両側に土を盛り、エノキなどを植えて、距離を示す目印とした塚。江戸幕府により全国に設置。里程標(りていひよう)。 |
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以前一里塚跡碑について、交流ウォークの藤井先生が、広島市内の一里塚跡で、(東は)矢賀、(西側では)高須、井口(龍神山)に跡碑のようなものがないのは残念だと云っておられた事を思い出すのです。
龍神山(井口)は2009年に跡碑が建立され、ここ矢賀は2012年に建立されました。残るは高須のみになりました。
2014年近くの“岩鼻架道橋”“(矢賀の)岩鼻”を編集しようとぶらり散歩しましたので、この「矢賀一里塚跡碑」も撮影し頁を編集しました。 |
2023年撮影時は、JR天神川駅から下ってきましたので、県道84号線越しに撮影し、横断歩道がありましたのでその上から撮影してみました。 |
23.10.24.更新 14.10.29.裕・記編集 |