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東区東山町の岩崎病院玄関前に建立されている「倉田百三文学碑」です。 |
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倉
田
百
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の
弟
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そ
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『青春は短い 宝石の如くにして それを惜しめ』は、論評集「愛と認識との出発」にある言葉です。
「出家とその弟子」は倉田百三の代表的な戯曲です。
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倉田百三(くらた ひゃくぞう:1891-1943) |
大正〜昭和初期の劇作家、評論家。広島県(庄原市)出身。
一高中退(結核を患い)。一高在学中に西田幾太郎(哲学者1870-1945)の影響を受ける。大正6(1917)年戯曲「出家とその弟子」により求道的な文学者として出発。大正10年評論集「愛と認識との出発」を発表当時の青年の必読書となる。
大正15(1926)年「生活者」を創刊、主宰。白樺派と交流を深め社会問題に関心を寄せたが、晩年は超国家主義に傾いた。戯曲「俊寛」など.。 |
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「二葉の里歴史の散歩道」で紹介がある才蔵寺の手前に岩崎病院があるのですが、いつも病院の建物を横目で見るだけでした。交流ウォークの時、この岩崎病院の玄関のところに、倉田百三の文学碑が建立されており、そして野外彫刻・田中江里作品の「タイムカプセル」が展示しているっことを教えていただきましたので、撮影してこの頁を編集しました。
倉田百三文学碑は、「出家とその弟子」 完成の地と云われている南区丹那町の文学碑しか知らなかったわたしでしたので、ここ岩崎病院になぜ建立されたのかと思いました。病院の方のお話では、理事長先生が庄原出身で、同じ庄原出身の倉田百三の業績を顕彰して1982(昭和57)年6月3日この文学碑を建立されたということでした。 |
2013年になって母校旧制三次中学(現在の三次高校)を訪ねた時、倉田百三文学碑が建立されていました。それには、『青春は短い 宝石の如くにして それを惜しめ 愛と認識との出発』と刻まれていましたので、“愛と認識との出発”をみてみました。 |
13.04.29.追記 12.06.05裕・記編集 |