栗本軒貞国歌碑

  東区山根町の聖光寺境内に建立されている「栗本軒貞国歌碑」です。
“聖光寺のweb site”を参照すると、
『貞国の「辞世の歌」
栗本軒貞國と称し、江戸後期に活躍した狂歌の師匠。
門人360人によって瑞川寺(現・聖光寺)に歌碑が建立された。「花は散るな月はかたふくな雪は消なとおしむ人さへも残らぬものを」行年八十八翁 天保四癸巳年二月二十三日没』

☆天保四癸巳年とは、1833年。
☆苫屋彌三兵衛と称し広島水主町(≒現・加古町)に住んでいた。
ここ聖光寺にここで取り上げた栗本軒貞国の歌碑が建立されていることをgooブログで知りあいになった小林さんに教わっていました。
2022年になりましたが広島護国神社の筆頭祭神・高間省三命に関する“高間壮士之碑”を撮影しようと訪ねたので、ここで取り上げた「栗本軒貞国歌碑」も撮影してこの頁を編集しました。
正面の辞世である狂歌の読み方などは小林さんの記事を参照させていただきました。
ただ誕生年月日は不明でした。
22.03.01.裕・編集

22.01.20.撮影
広島市東区山根町29-1   (聖光寺・瑞川霊園中央)

22.01.20.撮影














































   


22.01.20.撮影






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22.01.20.撮影



「文学碑など」編


「牛田・二葉の里附近」編



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聖光寺
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  (移設前)大石内蔵助父子供養墓
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  (境内建立)栗本軒貞国歌碑


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