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南区宇品御幸に被爆建物として残されている「旧・中国配電南部変電所」です。
※2018年1月31日この建物が解体されるということで、広島市の被爆建物登録台帳から抹消したそうです。 |
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2018年2月1日中國新聞報道で建物が解体されることを知りました。
『広島市は1月31日南区の被爆建物「E.R.E.宇品御幸ビル」(旧中国配電南部変電所)が、解体されると発表した。所有してきた中国電力の子会社エネルギアL&Bパートナーズ(中区)が老朽化などを理由に不動産業者に売却し、業者は解体して跡地活用を進めるため。市は同日付で市の被爆建物登録台帳から抹消した。
建物の一部が被爆を伝えるモニュメントとして残るように業者との協議を進める。』 |
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1943(昭和18)年2月中国配電南部変電所として建設されました。
1994(平成6)年まで中電宇品変電所として使われました。
2008(平成20)年10月からイタリアンレストラン「ソットスタツィオーネ(伊語:変電所)」として利用。
2014年には再び空家。所有者のエネルギアL&Bパートナーズは老朽化で維持管理が困難と判断。
2017年12月マンション販売などのフリート(東区)に売却。(近く解体工事をするそうです) |
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E.R.E.宇品御幸ビル (被爆建物) (旧中国配電南部変電所) |
爆心地から3,790m 被爆当時町名は宇品町でした。 |
1945(昭和20)年8月6日原子爆弾の投下により被災しましたが、爆心地から約4q離れていたことから、鉄筋コンクリート造2階建であるこの建物の被害は、窓ガラスが破損した程度で済み、現在でも往時の姿をとどめています。この建物はその後も中国電力(株)宇品変電所として電力の安定供給に貢献してきましたが1994(平成6)年新変電所の完成に伴いその用を終え現在に至っています。 |
(株)エネルギア不動産 |
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資料によると、1943(昭和18)年2月中国配電南部変電所として宇品方面に電力を供給する目的で建てられました。
鉄筋コンクリート造2階建て、延べ面積約370u。
1945(昭和20)年8月6日原爆での建物への被害は軽微で済み段原変電所の修復で、翌(8月7日)日には送電を開始したそうです。 |
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2005年交流ウォーク集合場所だった宇品公民館に集合時間よりも早めにいきましたので公民館周りをぶらり散歩しようとして公民館の北隣に位置していたこの旧・中国配電南変電所に目に留まりみると説明板が付いており被爆した建物とわかり、撮影しました。 |
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この建物が、『2008(平成20)年10月からイタリアンレストラン「ソットスタツィオーネ(伊語:変電所)」として利用される、店舗改築の際、外観にはほとんど手を加えず、店内の内装に旧変電所で使われていたものをそのまま内装に利用する』と報道で知りました。 |
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2014年現在は再び空家となっているそうです。 |
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2010年交流ウォーク下見の時昼食をこのレストランで食すことにし、旧変電所であった時代の内部が残されているという部分などを撮影していました。
2014年のいまになりましたが再編集しようとWikipediaをみると『・・・ただこの店舗も閉店、2014年現在は再び空き家となっている』とありました。
時代の移ろいを思い、もう少し早く編集してレストランを宣伝しておかなくてはならなかったな〜と思いながら、再び空家となったこの被爆建物の行く末は解体かな〜などと考えながら、再編集しています。 |
2018年新聞報道で解体されることを知りましたので追記しました。
『広島市平和推進課は「被爆者が高齢化し、被爆建物の重要性が増す中、解体されるのは残念。建物の一部でも残してほしい」と求める。フリートも一部のモニュメント保存について「市と協議を進めたい」とする。
市への被爆建物登録は1996(平成8)年には98件でしたが、その後減少し、今回の抹消で85件になった。市は本年度内に民間の被爆建物の所有者に文書を送り、建物の現状・保存への意向を確認。保存工事に対する市の補助制度をアピールして保存を促す。 』
2014年解体された(現在)三戸商店倉庫のときにも(わたしは)書きましたが、(県と市が協力して)被爆建物保存についての基本的計画を策定しなくては民間建物だからと云うことで次々に老朽化し、耐震基準に適合していないということで利用されることもなく解体消滅していくことでしょう。 |
2018年新聞報道で解体されることを知りましたので、2月26日行ってみました。地上部分はほどんど解体されていました。画像を一枚ですが加えました。 |
18.03.11.更新 06.01.13裕・記編集 |