田中イト女史顕彰碑

  南区宇品御幸のうじな保育園東南角に2000年12月に建立された「田中イト女史顕彰碑」です。
宇品の歴史と保育園
広島市の発足後、千田貞暁県知事(県令:1836-1908 )の進める宇品港の大事業は5年あまりの歳月をかけ1889(明治22)年に完成宇品新開から宇品町と改まって商港としての発展を握いますが、軍港の町として日清・日露戦争さらに第一次世界大戦などを経験することになります。
時は昭和を向かえ、市内電車が開通し、ラジオ放送が始まるなど近代化が進む中1929(昭和4)年宇品学園が創設されました。あたりは広い野原でしたが、隣に神田神社が移ってき、つづいて現在の場所に、御幸橋から宇品西堤防下を走っていた(市内)電車が移設されました。
1926 大正15年6月 財団法人善清会 宇品学園設立。7月開園。9月入園式
1935 昭和10年11月 宇品学園愛園会創立総会
1945 昭和20年8月6日 被爆。翌年2月まで休園。被爆者の救護所となる
1974 昭和49年7月 鉄筋コンクリート造に改築
1998 平成10年4月 宇品学園からうじな保育園に改名
田中イト(1855-1934) うじな保育園創立者
1855(安政2)年大阪に生まれる。広島市宇品町の田中喜四郎(先代)と結婚、共に歩むうち次第に教育や社会奉仕に心を寄せるようになり後年広島市の教育振興に大きな貢献をされた。
1909(明治42)年広島市立宇品尋常小学校に運動場敷地(814坪)を無償寄与さらに1915(大正4)年4月集会所(講堂)として建物寄贈、館名を「奨学館」に。
1921(大正10)年に校地約6000坪と10万円を寄付し、鶴虎太郎氏と共に宇品町に「財団法人広陵中学校」を設立。
1928(昭和3)年学園創設のため約1000坪の敷地と10万円を寄付、1929(昭和4)年田中喜四郎氏らと現うじな保育園「財団法人喜清会宇品学園」を創立。その発展を願いつつ5年後の1934(昭和9)年7月8日79歳で永眠された。
21世紀を迎えるにあたり保育園の歴史と先達の偉業を伝えます。2000(平成12)年12月 社会福祉法人喜清会・うじな保育園
1926(大正15)年第3回全国選抜中等学校野球大会において初優勝以来、1991(平成3年)第63回全国選抜高等学校野球大会において優勝に至るまで高校野球では強豪校として全国に知れ渡る広陵高校の創設者の一人だったのが田中イト女史です。わたしは今(2005年)回の交流ウォークではじめて知ったのでした
2015年安佐南区伴東の広陵高校に立ち寄ったとき、田中イト女史のっ胸像が建立されていましたので、撮影し頁を編集することにしました。その機会にこの頁を見直し更新しました。
2018年お隣の神田神社を参拝しましたのでその時この顕彰碑も撮影しましたので、この頁を更新しました。
19.03.29.更新    06.01.15裕・記編集

05.12.17撮影
広島市南区宇品御幸4-2-13 (うじな保育園東南角)
1938(昭和13)年うじな保育園周辺  (陸軍糧秣支廠の大煙突が見えるようです)
田中イト女史レリーフ顕彰碑 

05.12.17撮影

18.02.26撮影

18.02.26撮影

18.02.26撮影



「広島ゆかりの人たちの石碑など」編



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