せんぎょうじ
千暁寺

  南区宇品海岸に建てられている「日照山・千暁寺」です。
※千暁寺・本堂は、1945(昭和20)年8月6日爆心地から4,310mで被爆した建物です。
日照山・千暁寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。
宇品港完成(1889年)に先立ち瀬戸内の島々出身の労働者のための浄土真宗のお寺が必要と時の県令・千田貞暁(1836-1908)が願主となり宇品説教場が建設されたのがはじまりです。
日清戦争以降第二次世界大戦までの間宇品港には戦争で亡くなった方々の遺骨が運ばれ帰ってきました。日本各地の遺族に遺骨を引き渡すまでの間、合同の慰霊祭がされ安置所となっていたそうです。
1945(昭和20)年8月6日原爆の爆風で屋根が浮きあがり瓦がずり落ち、建具などが飛散し、建物全体が東に傾いたが、被爆直後から避難してきた被災者の救護や死亡者の供養が行われたそうです。
千暁寺本堂は、木造平屋。
爆心地より≒4,310m   
(被爆当時町名は宇品町でした。)
※広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいます。
資料によると、被爆した本堂は(改築記念碑でもわかりますが)1935(昭和10)年10月竣工です。
原爆の爆風で本堂の屋根が浮き上がり、瓦がずり落ち、建具は飛散し、建物が東側に傾いたそうです。被爆直後から避難してきた被災者の救護や死亡者の供養が行われたそうです、原爆で残ったお寺は少なくてトタンの払い下げを受けるなどして応急修理を行い、各種の慰霊祭が営まれたそうです。
10.12.30.更新   06.01.19裕・編集

05.12.17.撮影
広島市南区宇品海岸2-3-1 (鐘楼門) 浄土真宗本願寺派
当寺梵鐘は曽て篤信家高畑喜一郎氏の寄進により朝夕有縁の人々に大悲の梵音を伝えて来たりしも惜しむべし過ぐる太平洋戦争に於いて供出の止むなきに至り爾来鐘声絶えて三十年に及べり然るに時機熟して宗祖親鸞聖人生誕八百年の記念事業として茲に門信徒の懇念を結集し老朽せる旧山門を鐘楼門に改築し梵鐘を新鋳するに至れり願わくば正覚の大音十方に響流せんことを    昭和49(1974)年3月 日照山 千暁寺

05.12.17.撮影
本堂は被爆し現存する木造建物です

05.12.17.撮影
本堂改築記念碑 昭和10(1935)年10月竣工 木鼻・獏

05.12.17.撮影
本堂にてご住職よりお寺の縁起などを伺いました

05.12.17.撮影

07.08.17.撮影
被爆した納骨堂 (出入口はサッシュに取り替えられています)

07.08.17.撮影

07.08.17.撮影

10.12.14.撮影
  被爆建物・千暁寺
  (爆心地から4,310m)
本堂と納骨堂は、昭和20(1945)年8月6日の原爆にも耐えその姿を今日に伝えています。、
広島市
2018(平成30)年7月の広島市平和推進課被爆建物リストでは、納骨堂はありません。
2005年にはなかった被爆建物標識が鐘楼門横に設置されていました 18.09.17.リスト確認

10.12.14.撮影
「日照山」山号額

10.12.14.撮影
真如一實・碑
(しんにょ)
真如:
〔仏〕あるがままにあること。存在の本質、存在の究極的な姿としての真理そのものをいう。
大乗仏教では、法性・実相などとほぼ同義に用いる。
(いちじつ)
一実:
〔仏〕絶対平等の真実。真如。また、一乗法(≒唯一絶対の真理を説く仏の教え)をいう。



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広島ぶらり散歩
被爆した建物・構築物」編


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