(皆実町京橋川河畔)被爆したクスノキ

くすの木 (被爆樹木爆心地より約2km)                皆実学区社会福祉協議会 
  1945(昭和20)年8月6日米軍の原子爆弾投下により広島市民が被爆し、生き残った人々が焼けただれた身体をこの樹木のもとで夏の強い日差しを避け横たえ、救助を求めた場所です。
明治時代京橋川の防潮堤が作られた時に道路との境界として植えられたものと思われますが定かではありません。島しょう部から舟の目印になり、また地域の子どもたちには、1955(昭和30年)頃まで続いた夏の京橋川での水泳や川遊びで疲れた身体を休めた思い出の地の樹木です。
2007(平成19)年に道路の拡幅でこの附近に移植され、地域の歴史樹木として未来に遺されています。
広島市は、爆心地からおおむね2000m以内で被爆した樹木を被爆樹木と呼んでいます。
現在、このクスノキたちの近くの御幸橋は、爆心地から≒2270mと資料で云っていますので、このクスノキ(たちの多く)は,爆心地より2000m以上の位置にあったのではないかと(わたしは)思ったのですが。
2010年交流ウォーク下見の時、ここの被爆したクスノキを知りました。
皆実学区社会福祉協議会設置の説明板には爆心地より約2000mとありましたが広島市市民局国際平和推進部の被爆樹木のリストには掲載されていません。その事を少し考えて上記に記しましたが、(わたしには)よくわかっていません。
ここのクスノキをみた時どうも樹勢と云うものに衰えがあるようで、それは移設するのに樹高を低くされたからだけではないように(わたしは)思いました。
2010年撮影画像だけでは編集が難しかったので、今(2012)年撮影に行きました。1年と少し程経っていると云うのに樹勢が回復しているようには思えませんでした。
 12.04.17裕・記編集

10.12.04撮影
広島市南区皆実町2-8  ゆめタウン広島裏側(京橋川側)

10.12.04撮影

12.02.25撮影

12.02.25撮影

12.02.25撮影

10.12.04撮影
この辺りかなと、1918(大正7)年の地図に、クスノキ(緑色で記述)の位置を入れてみました



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