|
廿日市市天神に鎮座している「廿日市招魂社」です。 |
廿日市招魂社は、1939(昭和14)年に創建されたそうです。
現在は、小さな公園として整備されていますが、1885(明治18)年山口・広島・岡山を巡幸された明治天皇が、8月1日厳島から地御前に上陸され、人力車で廿日市に入られ岩尾澤太郎邸でお休みになった(その後広島へ向かわれた)その場所で、その地が1939年に落成した招魂社だったそうです。 |
招魂社を辞書で引けば、「明治維新前後およびそれ以後、国家のために殉難した者の霊魂を奉祀した各地の神社。東京招魂社は1879(明治12)年靖国神社と改称。地方の招魂社は1939(昭和14)年護国神社と改称」とあります。
確かに広島護国神社は、1934(昭和9)年に広島西練兵場西端に官祭廣島招魂社として遷座、1939(昭和14)年内務大臣指定の廣島護國神社と改称しています。しかし、この廿日市招魂社は創建が1939年でそのまま今日まで招魂社の名を残しています。 |
廿日市のこの地区を訪ねるのは、はじめてで、交流ウォーク探検隊に参加していなければ、この廿日市招魂社も知らなかったでしょう。また明治天皇が1885(明治18)年西幸されたことを草津の小泉酒造の前でみた「置鳳輦止處」碑や宇品中央公園でみた「明治天皇御駐蹕趾」碑との繋がりもわずかばかり分かってきました。 |
07.09.22裕・記編集 |