|
廿日市市天神の廿日市招魂社に建立されている「紀元二千六百年記念・標柱、玉垣」です。 |
ここ廿日市招魂社は、1939(昭和14)年に創建されたそうです。現在は小さな公園として整備されています。
ここ廿日市招魂社の標柱(しめばしら)は、紀元二千六百年を記念して(寄進され)建立された標柱で、境内周りの玉垣も紀元二千六百年記念して寄進された玉垣でした。 |
紀元二千六百年記念行事 |
1940(昭和15)年は、(初代天皇)神武天皇の即位から2600年に当たるとされたことから、(当時の)日本政府は1935(昭和10)年に「紀元二千六百年祝典準備委員会」を発足させ、橿原神宮や陵墓の整備などの記念行事を計画・推進しました。
1940(昭和15)年11月10日宮城前広場において内閣主催の「紀元二千六百年式典」が開催され、11月14日まで関連行事が繰り広げられて国民の祝賀ムードが盛り上がりました。しかし、長引く日中戦争による物資不足を反映し、参加者への接待も簡素化され、また行事終了後に一斉に貼られた大政翼賛会のポスター「祝ひ終つた さあ働かう!」の標語の如く、これを境に再び国民を引き締めることに転じ、その後戦時下の国民生活はますます厳しさを増していくことになりました。 |
|
過去何度か参拝したここ廿日市招魂社でした。
2012年訪ね参拝した後、境内から出ようとした時に、標柱の裏側に目がいき「紀元二千六百年記念」という文字に気が付きました。この時はじめて紀元二千六百年記念の標柱ということを知り撮影しました。 |
13.03.09.裕・記編集 |